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実際、<生の謎>に真摯に迫る作品は、今月も新たに生まれている。玄侑宗久氏(46)『アミターバ=無量光明=』(新潮)は、胆管がんに侵された八十歳目前の女性が、約三か月後に亡くなるまで、そして肉体を抜けて光になり、浄土=アミターバに受け入れられるまでを問わず語りするという、リアリズム小説の限界に挑んだ中篇。
臨済宗の僧侶である作者は、語り手の婿にあたる<慈雲さん>のたたずまいと重なる。慈雲から素直に生と死にまつわる仏教の智慧を受け取り、ひとまず気持ちを落ち着けた上で、この老女は意識の混濁を迎えるのだが、そこから先の、現実の時間から意識が離脱して行くプロセスが生々しい。しきりに語られるのは、現実を超えて存在する時空を、「私」の意識が消滅することなく自在に駆け巡り、過去の時間の流れを鳥瞰(ちょうかん)する−、その圧倒的な幸福感である。
<たぶん人間って、いろんな時間や、その時間にいた自分を勝手に組み合わせて、自分の人生をまとめようとする(中略)それが最大の煩悩だと思う>
時間からの解放がすなわち「死」であるとする慈雲。なぜ浄土があっても不思議はないのか。アインシュタインの理論まで動員して「死」という現象に彼は言及していく。その言葉が慰めを超える説得力を備えているのは、宗教と科学、医学の問いを混入してなお壊れない、小説という入れ物を存分に活用しようという作者の意欲が、よほど強かったからだろう。
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