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いわずと知れた芥川賞作家にして現役の僧侶、一貫して真正面から「死と救済」に取り組んできた著者が、自殺という重いテーマを扱った書き下ろし長編。そのわりに、読後感がさわやかなのは、この著者の作品に共通の特徴。
自殺した若い女性にかかわりあった六人、弟、その恋人、母、再婚した父、男友だち、ストーカーだった男、などがそれぞれの視点から死者とのかかわりを語り、スパイラル状に自殺に至る経緯が明かされていく。自殺者の頼りにするイオン樹液シートなどの小道具、やたらにありがとうと書きつける様子など、現代社会で居場所を失った人々の典型的なはかなさがよく書かれている。自殺への伏線となったストーカーの、無言電話には慈悲で応じるべきだ、と勝手に決めつける心理描写も成功している。
副題の「神の庭」は、無言電話の背景に流れていたスペイン語のボーカル曲で、被害者も気に入って買ってしまう。そこに、加害者/被害者では割り切れない、複雑な人間関係を匂わせている。最終的には、死者も、自らを責める生者たちも、ストーカーさえも救われてゆく。
題名の「リーラ」は、インドの言葉で「神の遊戯」の意。語源は「揺れる」。一見偶然に見える事象の背後にある、目には見えない神秘的な秩序をさす。
「私たちが生きているのもリーラ。死ぬのもリーラ。(中略)きっとみんな、植物も動物もどこかで繋がってるんだわ」と、弟の恋人にいわせている。その繋がりを求めて人は生き、救われてゆく。
死後の世界、成仏とはどういうことか、などは著者の作品に常につきまとうが、本書では弟の師匠や整体師や、恋人と一緒に姉の成仏を頼みにいった沖縄の霊能者(ユタ)の口を通して語られる。その中に、仏教の教義と、科学と、民間伝承の間をさ迷う、著者自身の「揺れ」が感じられる。じつは、その「揺れ」は、近代文明国に生きる人のほとんどが感じている。僧侶でありながら、仏教の教義を押しつけることなく、自分自身の「揺れ」をそのまま表現しているとことろに、この著者の小説の魅力があるように思われる。
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