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「我思う。故に我在り」というのは、まさに首から上だけで世界を捉えようとしてきた近代を象徴していると思う。しかしそれだけでは間尺に合わなくなってきた、説明つかなくなってきた、というのが、このところの時代の流れで、本書をひとことで言えば、そういう近代的物言いではいまのところ説明のつかないことについて、人間のアタマの限界を「バカの壁」と称して説いた脳科学者と、霊だの死後の世界だのといったこれこそ近代的論理では割り切れない物語で芥川賞を受賞した禅僧が語り合ったもの――と、ちっとも紹介になっていないか(笑い)。
対談の話題はアタマではなくカラダ、昨今流行りの身体論から始まるのだが、何かを論理的に突き詰めようというのではないから(というか、論理的に突き詰められない話だから)、話は「あのとき、こんなことがあって、こうだった」というような、ごくごく具体的にならざるを得ない。しかも、突き詰めていこうとしているわけではないから、展開も縦横無尽というより、あっちへ飛び、こっちへ渡り。ひとつの話が次の話を呼び、間(あい)の手で入れた茶々から話題がまた転換していく。その展開の流れが目次の「観念と身体」「都市と自然」「世間と個人」そして「脳と魂」という順なのだろう。
いわば、大いなる雑談と言っていいと思うが、養老先生が博覧強記なのはよく知られているけれど、玄侑氏も負けてはいないから、その雑談の中身がとても濃い。教養のない身には何のことだかわからない話も多かったが、次から次へと展開する話のスピードに乗せられて、ついに読破してしまった。
オルタナティブなものの見方・考え方に興味・関心のある人には、とてもエキサイティングな対談だと思う――と、やっぱり紹介になっていないな。
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