bookコレクション
禅僧と生理学教授が、修行体験や研究を通して得た言葉で語り合い、脳の謎に迫る

渡邊十絲子  

 パニック障害や抑うつに苦しんでいる人がいるとする。その人に対して「それは脳内にセロトニンという物質が不足しているのだから、それを補う薬を飲ませよう」と考えるのがこれまでの西洋医学だった。しかし目的は同じでも、アプローチはひとつとは限らない。人間の身体は使いかたによっていかようにも変化する偉大な器である。身体の「ある使いかた」の訓練をすれば、薬物を投与しなくても体内にセロトニンを増やすことができる。これが東洋の考えかたであり、こうした東洋的な「身体の使用法の裏ワザ」を身につけていくことだったのである。
 玄侑宗久氏は作家であると同時に禅寺の僧侶である。もちろん、坐禅をはじめとする禅の修業を経験している。対する有田秀穂氏は大学の生理学教授。呼吸と脳神経を専門にし、セロトニン神経を中心に見た場合の脳のさまざまな活動を研究している。この異分野からの顔合わせが「脳でこういうことが起こるのはなぜか」という謎に向かう大きな力になっている。
 玄侑氏は実際に自分の身体で確認している。「こうすれば、こうなる」という方法を示し、有田氏はそれを脳神経の働きから説明する。たとえば、なかなか眠れなくて困っている人は、目を閉じたときに視線が水平より下を見ている、瞼の裏を睨んでいる、という驚くべき指摘。視線の方向を上に向け、しかもゆっくり左右に眼球を動かすと、理屈を考えることができなくなり、自然に眠気をおぼえるという。もちろんこうした方法は訓練が必要なのだが、それにしてもすばらしい経験知だ。
 坐禅と医学が互いに反対側の登山ルートから脳の謎という山に登り、山頂でピシャリと出会う。そんな快感を味わった。しかし両者の意見が一致しない部分はさらに興味深いのである。


「婦人公論」2005年8月22日号