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自殺といえば、『リーラ 神の庭の遊戯』(玄侑宗久著・新潮社、1470円)が死者に取り残された者たちの思いを描いている。
飛鳥は、ストーカーに襲われたことを契機にして、拒食症に陥り、自宅で首をくくり、腹をナイフで突き刺して自殺してしまう。自殺した飛鳥は気配として登場人物に影響を与えるだけで、自らは一切何も語らない。
姉の死を予感しながら止められなかった弟幸司。死に向かう娘の前でおろおろとしていただけの母政恵。飛鳥にストーカー行為を働いた江島。飛鳥と知り合い、飛鳥を受け入れることが出来ずに死から救うことが出来なかった倉田。飛鳥を捨てた父司朗。霊を感ずることが出来る幸司の恋人弥生。この6人が自らの救いに向かって飛鳥の気配に動かされていく。
幸司と弥生は飛鳥の魂を成仏させるために沖縄の霊媒師を訪ねた。霊媒師が祈ると、弥生の目に「飛鳥の顔のある場所に、海から上がってきたとも見える黒い体が向かう。顔と体がくっつくとそれはシャボン玉のように消えるのだが、消えかかる頃には別な表情の飛鳥が離れた場所に現れ、また奇妙な形に固まった黒い体がそこに向かう」と飛鳥の霊が一つに集まってくる様子が見え始めた。「辛かったね。……苦しかったね」と霊媒師も泣き、弥生も泣く。その時、他の人たちの心の中にも飛鳥への思いを浄化するような変化が現れる。江島は「慈悲」とは「神の庭」へと運んでくれる通路だと思い、飛鳥に許されたとの慈悲を感じる。
弥生は「私たちが生きているのもリーラ。死ぬのもリーラ」といい、幸司は「……リーラ、か。……それが成仏ってこと?」と訊く。そして弥生は「ほんとはもっと、『なんとなく』でうまく行くんじゃないかなぁ」と思いを言う。
自殺という形で、私たちの前から忽然と親しい人間が消える。なぜ自殺を止められなかったのだろうか。自殺したのは自分が苛めたからではないだろうか。様々な思いが残された者たちの胸を苦しめる。しかしもはや死者は何も語ることはない。生涯、この苦しい思いにさいなまれながら生きていくことが、死者への贖罪なのであろうか。その問いに答えようとした意欲的な作品だ。年間の3万4000人以上の人が自殺する日本の現実を考えるとき、自殺者への思いを断ち切れずに苦しんでいる人はいったい何人いるのか想像がつかない。この作品はその人たちの癒しになるだろう。
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