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どういうわけか対談本が続々刊行! 日本人はなぜ対談本を好むのか?



永江  朗   

 養老孟司や姜尚中といった人々の対談本がやたらと目につく。もともと対談や鼎談、座談会は雑誌の定番みたいなもの。ただし欧米の雑誌ではめったに見かけない。あるとすれば、インタビューや往復書簡だろう。対談は日本独自の文化と言ってもいいのかもしれない。
 それにしても、ここにきてなぜ対談本が増えたのだろう。
 理由はいくつかある。一つは、書き言葉としゃべり言葉の違い、あるいは、「書き思考」と「語り思考」の違いだ。書き言葉だと難しいテーマも、しゃべり言葉なら易しくなる。文章は一人で原稿用紙(あるいはパソコン)に向かって書くが、対談は相手の顔を見て話す。相手が理解していなければ、理解できるところまで降りていくからだ。
 しゃべれば平易になる、という見本が養老孟司の『バカの壁』だった。あの本で語られていることは、これまで養老が書いてきたことと基本的には同じだ。でも、元写真週刊誌の記者が聞き書きすることで平易になり、爆発的なヒットにつながった。最近の対談本ブームの一翼を担うのが養老孟司であるのは当然だろう(もともと対談本の多い人だけど)。
 二つ目は「ステレオ=立体」効果。対談とは言葉のキャッチボールである。ひとつのテーマをめぐって右スピーカーと左スピーカーから音が出る。正面でそれを聴いていると、音(=内容)が立体的になる。話者Aと話者Bの立場や考え方は異なるから、その位相差によって物事がよりリアルに見えてくる。数多ある対談本でも、似たような立場・考え方の話者によるものがつまらないのはこのためだ。
 三つ目は、対談が異種格闘技、他流試合だからである。かつて、'80年代にも対談本がブームになったことがあった。当時の私的ベストスリーを挙げると、『数学大明神』(森毅+安野光雅)、『天使が通る』(浅田彰+島田雅彦)、『観光』(細野晴臣+中沢新一)だが、数学者と画家、哲学者と小説家、音楽家と文化人類学者という異種格闘技であった。'90年代には養老孟司が古武術研究家の甲野善紀と作った『古武術の発見』という傑作もある。
 '80年代に対談本がブームになったのは、その前にニューアカデミズムが席巻したからだ。『構造と力』(浅田彰)も『チベットのモーツァルト』(中沢新一)もよくわからないけれど、小説家や音楽家と対談すれば、少しはわかるかもしれない、という切実な気持ちがあった。当時と今はちょっと似ている。
 ま、対談だと早く確実に本が作れる、という編集者の事情もあるのだけどね


「SPA!」 2005年3月1日号  


永江 朗 お薦めの対談本10冊
備考
養老孟司&玄侑宗久
『脳と魂』

(筑摩書房/1680円)
対談王・養老孟司。この本での相手は禅宗の僧侶にして芥川賞作家の玄侑宗久。解剖学者と坊主だから、死体つながり? これならもう怖いものなし
森達也&姜尚中
『戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある』
(講談社/1890円)
養老に次いで対談が多いのが姜尚中。映画監督の森達也と、世界の戦場跡を歩きながら戦争について語り合う。難解な国際政治も、少しわかったような気持ちになる
岡野宏文&豊崎由美
『百年の誤読』
(ぴあ/1680円)
とかく硬くなりがちな文芸評論も、こういう対談なら大いに盛り上がる。一見、軽薄で野蛮そうな本なのだが、じつは近代文学とは何だったのかをズバリ射貫く
唐沢俊一&村崎百郎
『社会派くんがゆく! 逆襲編』

(アスペクト/1575円)
オタク系文化人と鬼畜系文化人が、社会で起きるものごとについて語り合う。初出はwebマガジン。書き言葉だとイタい物言いも、しゃべり言葉だと許せる?
安部譲二&山本譲司
『塀の中から見た人生』

(カナリア書房/1575円)
Wジョージ。譲二は賭博開帳と銃刀法違反で、譲司は秘書給与流用で、それぞれ服役。でも、懲役帰りでなければ見えないこと、言えないことがある
宮台真司&宮崎哲弥
『エイリアンズ―論壇外知性体による「侵犯」的時評03-04』
(インフォバーン/1890円)
M2による時事放談。タイトルは自分たちを「論壇外知性体」と位置づけたところから。しかし、いまや論壇なんていうものは虫眼鏡で探したって見つからない
河合隼雄&中沢新一
『仏教が好き!』

(朝日新聞社/1470円)
ユング派精神分析家であり文化庁長官(!)の河合と、『カイエ・ソバージュ』の文化人類学者・中沢。9年前なら絶対に実現しなかった対談だ
村上春樹&柴田元幸
『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』

(文春新書/777円)
村上はあまりインタビューを受けたり対談に登場する人ではない。本書は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を訳した直後の村上が英米文学者の柴田と翻訳論議
吉本隆明&逸見庸
『夜と女と毛沢東』

(文春文庫/470円)
吉本も対談のチャンピオン。思想の巨人も、対談だと江戸っ子らしいサービス精神を発揮して、面白くわかりやすくする。これはもう、ひとつの芸だ
坪内祐三&福田和也
『暴論 これでいいのだ!』

(扶桑社/1890円)
説明不要の本誌掲載。この二人に限らず、たいていの対談は暴走し、暴論となる。それは相手にサービスしようとするからであり、対話というものの罠である