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生きていくうえで必要な常識も、ともすれば私たちの精神を不自由にする。その世間の常識も禅語に学びながら、禅語そのものを忘れることを繰り返すうちに、少しずつ抜けて自由になるという。そんな禅語の世界の豊饒を、老師24人の墨跡と達意の文章で紹介。禅語を味わうごとに、自然のごとく豊かで柔軟な心になっていく、話題をよんだ著者の『禅的生活』実践編。 |
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「週刊アサヒ芸能」2006年1月26日号 「禅とは”下着”。ある意味、無節操 他宗教の信者も禅を学びに来る」 | |||||
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<(人は)怒りの種を自分の頭や口で再生産している>。至言である。かように示唆深い禅の想念を、玄侑宗久氏は実体験をベースに、都々逸や俳句を引用しながら、時にアカデミックなアプローチを交え、手ほどきする。融通無碍な解説に触れるにつれ、心がふっと軽くなる。そして禅僧たちの無邪気にも見える、折々の書を眺めていて勃然と思うのだ。禅っていいなあ、と。
「人は何の指針も持たない、いわば、すっ裸の状態では暮らせません。何かしら着ます。ただ、キリスト教とイスラム教を重ね着するわけにはいかない。でも下着なら上に何でも着られます。実際、他宗教の信者が禅を学びに来ます」 ただし補正下着ではない。 「身体も1つの自然。それをコントロールしようという発想は西欧のもの。禅では、いかに自然に寄り添うかが人の力量だし、自然界で起こることに矛盾もなければ、よしあしもないと考えるんです」 運命に無心で従うことができれば、幸運も不運もない。禅はそう説く。だが、実践には骨が折れそうだ。 「いえ、自転車と同じでいったん乗れてしまえば、その技術は絶対忘れないし、苦労もなくなる。だいたい”しなければ”と思うから仕事になって、ストレスがたまってくるんです。遊びにしてしまえばいい。心臓だって遊んでいるからこそ休まない。見上げたもんです。それに比べて脳のエラソーなこと(笑)。脳に振り回されてたまるか、というところが禅にはあります」 最近、評判ガタ落ちの日本だが、よき面を思い出させてくれるのも本書の特徴だ。 「外国から取り入れたものを何でも発展させてしまうのが日本のすごさですし、その無節操さは禅に通じます。日本人が無意識につけている下着、価値観には禅がすり込まれている。それを示すため俳句や都々逸を引用しました」 <流るるや紅葉一葉の浮き沈み>。大国の一元論に振り回されぬよう、本書を読んでしかとパンツをはこう。禅は急げ。 <執筆:浜 美雪> |
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「読売ウィークリー」 2005年12月25日号(12/12発売) 不思議図書館「今週の7冊」 | |||||
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世間の常識は、往々にして人の精神を不自由にする、と著者はいう。禅の精神を日常で実践することで、既存の常識から心が解き放たれ、自由になれるという。言葉を超え、季節に身を委ね、自然と調和する、そんな禅的生活の魅力が伝わってくる。 | |||||
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「ダ・ヴィンチ」 2006年1月号(12/6発売) 今月の注目本 独断と偏見だけど超厳選 130 | |||||
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「世間の常識に”無邪気”で向き合い、もっと自由に心を解き放つ。季節に寄り添い自然と親和する」。本書は禅語の世界の豊饒を墨蹟と達意の文章で綴った魂の禅的生活実践編。宗教者であり、さまざまな職業を経験してきた実生活者である著者の言葉が心に響く。(エ) | |||||