ガン治療の値段



 現在では三人に一人がガンで死ぬ。つまりガンは、最もありふれた死因になってしまった。
 ガンになると恐らく誰でも様々な医薬品や健康食品を試みる。それは何にでも縋りたい人情の自然というものだろう。
 四月に新潮社から刊行された『水の舳先』のなかで、私は水に最後の救いを求める人々を描いたが、彼らとて自分の命をかけて方法を一つに絞ることはできない。人はお金がつづく限り多種多様なことを試みるのである。
 困ったことに、誰もがそんなふうにいろいろ試すものだから、いざ治ったというとき、じつは何のお陰で治ったのか判らないという事態になる。それが正直なところではないだろうか?  つまり、効かない薬もそのことによって温存されていくのだ。
 最近は大きな書店ならどこでも「ガン・コ−ナー」があるが、どうもそこに並ぶ本の装丁だけでなく内容にも、冷静な知力や誠意が感じられないことが多い。もっとも病院でガンと告げられた身内や本人にはじっくりと本を読み比べる余裕などないし、そうした客の眼を惹く売り言葉を工夫するのは売り手とすれば当然かもしれない。
 しかし、もう少し責任感のある言葉が吐けないものかとも思う。どの健康食品も末期ガン患者の治癒例を看板にするが、治癒率は大抵書かないし、この手のガンには効きにくいですよ、といった忠告もない。要するに、当然のことながら幅広く大勢の顧客を獲得するための商戦がそこでは繰り広げられ、ガンは今や一大マーケットを提供している。
 私も身内や知人あるいは檀家さんの体験を数多く見聞きしてきた。敢えて固有名詞は挙げないが、どうもガン治療薬の価格に関しては、独特の法則があるとおもえるのだが、考えすぎだろうか?  高いほうが効きそうに思えるのも確かだし、また危急であればいくら高くとも買うという面もある。似たようなことは都市部の葬儀屋の祭壇料や一部寺院の葬儀布施などにも感じる。些か人の足許を見たやり方ではないだろうか?
 ペイン・コントロールも発達してきた近頃では、ガンはほぼ最後まで本人であることを維持できる、悪くない病気だと思う。しかしどうも、あけすけな商魂の犠牲になるようで、まだまだ嫌な病気なのである。


2001年5月19日 読売新聞夕刊掲載