第二回

無心を磨く

 

西欧から輸入された「個性を伸ばす」という考え方が、いまや常識のように流布しているような気がする。しかし、すべては状況のなかでそのように「なる」と考える日本人には、向かない考え方である。日本人にとっては、そんな「個性を伸ばす」よりむしろ、書道、武道、茶道の修練のように「無心を磨く」ことのほうが大事ではないか。



「個性を伸ばす」という考え方

 西欧から輸入された「個性を伸ばす」という考え方が、いまや常識のように流布しているような気がする。だからそれぞれの個性に合わせ、別々なカリキュラムを組もうという学校もある。
 しかしながら、江戸時代の寺子屋には到底かなわない。寺子屋で使われた教科書は七千種類以上あったといわれ、たとえば大工の子や左官の子に「大工往来」や「左官往来」など、別な教科書が用いられた。ポピュラーだったのは普通の女子のための「庭訓往来」だろうか。しかし結局先生は皆に共通の話をするわけにはいかず、通路を歩きながらそれぞれの子供たちの別々な疑問に答えていった。どう考えてもこれは今の教師以上に深く広い智力が求められる仕事である。
 しかしここで言う生徒たちへの個別な指導は、いま使われる「個性を伸ばす教育」と同じだろうか。
 そうではあるまい。寺子屋は、子供たちが家の職業を継ぐことを前提に、必要な教育を効率よく施そうとしているのだが、現在の教育にはその前提がない。どんな仕事に就くかに関係なく、人には予め「個性」があると思っているようなのである。

状況に応じ変化を遂げる「応化力」

 別な言い方をすれば、江戸時代の日本人は就こうとする仕事によって求められる「個性」が違うと、はっきり自覚していたのだろう。ところが今は仕事という前提抜きに個性を想定するから「あなたの個性に合った仕事を探そう」などという戯言が叫ばれる。そうではなく、仕事がそれに見合った個性を導くのではないか。
 やや一般化して言えば、「役」が「人」を作るとも言えるだろう。先生も、どこかで何かを習うときは生徒になるのだし、家に帰れば夫や父親、あるいは妻や母親に戻るのが当然である。また新入社員では褒められる美徳も、課長になって褒められるとは限らない。部長ともなれば、やはりその「役」に応じてそれなりに変化することが求められるのである。
 こうした変化の能力を、仏教では「応化力(おうげりよく)」と呼ぶ。状況の変化に応じ、自己の姿を速やかに変化させる能力である。その象徴とも言えるのが観世音菩薩、観音さまだが、なかには顔が十一もあったり、無数の手を持った「千手観音」などもある。
 西欧に行けば、そんな仏像は間違いなく「バケモノ」扱いされるだろう。たとえそうでなかったとしても、「悪者」と思われることは間違いない。だいたい、「個性」を珍重する国々では、顔が幾つもあるなんて悪い奴に決まっているのである。
 べつに私は、多重人格を勧めているわけではない。そうではなく、たとえば会社から戻って奥さんとコンサートに行くときは、「部長」は脱ぎ捨ててもいいでしょう、子供と将棋をさすときは、「父親」も脱ぎ捨てたらどうですか、そう申し上げたいのである。
 何者でもない自分が時と場合に応じてさまざまな「役」に見合った変化を遂げる。そう考えたほうが、人生は自由だしダイナミックに感じられるのではないだろうか。

こう「である」と考える西欧人 そのように「なる」と考える日本人

 もともと個性とは、「personality」の翻訳語である。ギリシャでは仮面を意味したペルソナが、キリスト教の元で「神様の一部(欠片(かけら)」のような意味に変化する。そこから派生したのがパーソナリティで、神様の欠片なら良い面に決まっているから、伸ばそうということになるのである。しかし果たして、状況に関係のないそのような美点が、我々にあるのだろうか。
 少なくとも、すべて状況のなかでそのように「なる」と考える日本人には、向かない考え方である。あらかじめこう「である」と考えることは、喜びよりもむしろ苦しみを産みだすのではないだろうか。個性がわからない、あるいは個性と思い込んだ性向に似合った仕事がないと悩む人々が大勢いるような気がする。、

「無心を磨く」とは

 確かに同じことをしても、人はそれぞれに多少違ったやり方や結果を見せる。とことん同じことをして、その挙げ句に出てくる違いは「個性」と言えるのかもしれない。しかし日本人にとっては、そんな「個性を伸ばす」よりむしろ「無心を磨く」ことのほうが大事ではないか。
 書道でも武道でも茶道でも、道と名の付く修練はすべてこの「無心を磨く」ことで眼目である。いわば「応化力」の基盤が、この「無心」なのだ。
 自分がどんな人間なのかの判断は周囲の閑人に任せ、いかなる状況にも没頭していければ今日も新しい自分に出逢えるはずである。

 月刊「書写書道」2016年5月号