どこ吹く風

「三春舞鶴通信」という呼称は、おそらく舞鶴城に由来するのだと思う。三春小学校の校歌にもたしか「朝夕仰ぐ舞鶴の」とあった。
 お城山にあったお城が舞鶴城と呼ばれたのは、むろんその姿が翼を広げて飛ぶ鶴のように見えたからだろうが、じつは舞鶴城とはかなり一般的な「雅称」で、全国にはそう呼ばれた城が十六もある。有名なのは甲府城だろうか。東北だけに限って米沢城や天童城がそうだし、常陸の太田城もやはり舞鶴城である。
 戦いをイメージさせるわけでもない鶴が、なにゆえお城の雅称としてそれほど使われたのか、と考えてみると、昔から我々が鶴に抱いたイメージが浮かび上がってくる。
 古代の人々はどうやら、魂が古びてくると寿命が尽きると思っていたらしく、それを延ばすためには新鮮な魂に更新する必要があると考えていたようだ。そして外来の新鮮な魂を運んでくると考えられたのが、鶴を初めとする渡り鳥たちなのである。
 『古事記』には、生まれつき耳の聞こえなかった皇太子が鶴の声に接して耳が聞こえたという物語が載っている。その鶴を捕まえようとしたことから鷹狩りが始まったとする説もあるのである。
 鶴は滅多に鳴かないが、鳴くとその声はじつによく響く。特に雄雌の声は和音となって共鳴するため、天まで届くと言われるほどである。滅多に鳴かない鶴が鳴くと、だから「鶴の一声」と言われるほど周囲を圧する。争う周囲を鎮まらせるほどの迫力なのだ。
 もしかすると「舞鶴城」に託した人々の願いは、そのような政治的英断、あるいはそれによる平和だろうか。
 そういえば三春に初めて築城した田村家の殿たちは、どちらかといえば戦いを嫌い、むしろ仲裁などに出かけるタイプが多かったように思う。愛姫の父親、三春三代目の清顕公などはその典型だろう。四十八の館や寺社の境内に枝垂れ桜を植えたのも、おそらくそのような平和な「まちづくり」の意識からではないだろうか。
 世界はいま、テロの危険に充ち満ちている。いわば「鶴の一声」が聞こえない世界である。格差や貧困など、その遠因はさまざまに考えられるが、やはり背景にあるのは世界を一本化しようとする隠然たる欲望への反発ではないだろうか。資本主義、民主主義、あるいは「自由」といえども、いずれそこに一本化されるという考え方は、驕りである。治外法権を認める「御免町」も、一本化への危惧から発生したのではなかったか。
 古代道教では、どうしても一本化できない対価値の存在を「鶴と亀」として表現した。あまりに生活も嗜好も寿命も違いすぎるこの二種は、お互いを理解しあうことは到底できないだろう。しかしそれでも、理解はできなくても、和合することは可能でしょう、というのが道教の主張なのである。
 「鶴の一声」が威力を発揮するのはあくまで同じ価値観の範囲内である。亀に鶴の声がどんなふうに聞こえるかは知らないが、たぶん「どこ吹く風」ではないか。
 どこ吹く風があちこち枝垂れ桜の花房を揺らす。三春は舞鶴城のあったお城山を囲んで、いまも平和である。
 


 「三春舞鶴通信」9号