入会地という思想

 中間貯蔵施設が暗礁に乗り上げている。約十六万平方キロの予定地に、地権者は約二千四百人。ところがそのうち、約千二百人しか居場所や名前がわからない。残りの千二百人ほどは、行方が分からなかったり、また登記の名義人が亡くなっていたり、その場合諒解をいただきには子供すべてのハンコを貰わなくてはならない。ヘタをすると、孫の代になっているケースもあり、外国在住の人もいて、その数は膨大である。
 まずは居場所のわかる人々に、土地の買い上げ(または借用)を諒解してもらおうと努力するわけだが、これがまた簡単ではない。長年住んだ土地に、それは一生戻らない覚悟を迫るもので、部外者が想像するほど容易くはないのだ。今のところ(十月末時点で)、ハンコを押した地権者は十四人しかいない。
 いったおこの中間貯蔵施設、何年後に着工できるのだろう? いや、本当に作れるのだろうか? 環境省の職員たちは現行の法律に則り、全国に散った地権者やその子孫を訪ねる日々を送っているようだが、それはあまりにも果てしない作業に思えるのである。
 同じような問題は、震災後の墓地でも起こった。墓地も現在は永代使用者の連名登記であるため、たとえば津波被害が激しかったから移転したい、ということになっても、移転するのは殆んど不可能だ。なぜなら大部分の墓地は、登記したときのまま長く放置されてきた。たとえばうちのお寺の墓地でも、昭和二十年代に四百人余りの連名で登記したまま、全ての名義人がすでに亡くなっている。ハンコを貰うべき人は間違いなく孫やひ孫の世代だろう。
 東日本大震災以後、この墓地移転の必要性がキッカケになり、墓地法の改正が一部で議論されたとも聞く。しかし現実には、どうやらまだ何も改訂されていないようだ。
 要は、江戸時代には全国に普通にあった、「入会地」という考え方が今はないのである。入会地とは、村落共同体が「総有」した土地で、たとえば薪や落ち葉を拾い、用材を伐りだすような山であったり、また牛馬用の「まぐさ」や屋根を葺くカヤなどを刈り取った原野、河原などで、地域の人々の共有の土地と見做され、その取り扱いについては基本的にその時の代表者に一任された。
 もっと昔はどの土地も神様のもので、人間ごときが「所有」したりはできなかった。ところが今や、すべての土地が人間の売買できる「所有物」になってしまった。だから今や外国人所有の土地も増え、いろいろ厄介なことが起こるのである。
 神様のものまでは戻せなくても、せめてその地域の「みんなの土地」という考え方を復活できないものだろうか。中間貯蔵施設建設の是非以前に、その辺りの法改正がなされないと、何も始まりそうにない。


 「福島民報」2016年1月3日号