うゐの奥山 第四十七回

負けるが勝ち

 去年から今年にかけて、じつに穏やかで雪も降らない日々が続いている。年末から紅梅が咲き、蕗の薹までもう出始めている。
 そんな状況で特徴的な挨拶は、「このままでは済まないでしょうねぇ」とか、そのうちドカっと来るでしょうといったもので、どうも我々は、いずれ必ずバランスがとれるものと思っているらしく、基本的には「楽あれば苦あり」とか、「禍福はあざなえる縄の如し」などの諺に準拠した考え方で自然の推移を見つめているようだ。
 その考え方は、確かに震災後のような復興期には頼もしいし、相応しいだろう。しかし自然はそう好都合に変化するわけでなく、このままずっと雪が降らない可能性だってあるし、逆にこれでもかというほど大雪が続く可能性だって皆無ではない。だいたい我々の自然観は、甘いのである。
 それでも日本人は、そんななかから「負けるが勝ち」という凄い諺を作った。これは今は負けてもそのうち勝つという意味ではないし、負けることが次の勝利への礎になるというものでもない。負けることがそのまま勝つことだと普通では理解できない主張をしているのである。
 たいていの諺は、外国語に訳せるものだが、この諺がかりは訳しようがないと、ないかで読んだ記憶がある。負けること即ち勝つことなどという考え方は、西欧には存在しないらしい。
 負けることがそのまま勝ち、ということは、その一瞬のうちに価値観の転換があるということだ。こちらのモノサシでは確かに負けかもしれないが、この価値観だったら勝ちでしょうという転換が、即座に為されるのである。これは言わば、価値観を一本化していない生き方の証左でもある。できればこんな価値観の中では初めから負けたいという反骨心が、世にはあり得るということなのである。
 そんなことを思ったのは、生まれてからずっと耳が聞こえなかったキヨ子さんという女性を、先日八十九歳で見送ったのである。この場合は反骨とは無関係だが、彼女が通常の価値観と別な世界に生きたことは間違いない。人の言葉も自分の声も聞こえず、それでも彼女は地域の人々に心を開き、「キヨ子語」と言われる独自のジェスチャーや言葉で人々と心を通わせつづけた。
 私は彼女に、「天耳院」という院号をつけた。また聞こえないがゆえに周囲に「愛敬」の心を保ったから、「愛敬」という諱もつけた。そして道号の部分には、「キヨ子」のキヨをかけて「淨福」と名づけたのだが、これこそ「負けるが勝ち」の人生ではなかっただろうか。
 耳が聞こえないことは即ハンディキャップという西洋風の見方だが、今や福祉の世界も一般的である。むろん、聞こえたらどうであったかは知るすべもないのだが……。

 「東京新聞」2006年2月6日