桜の根元

 三春には、樹齢千年を超える瀧桜を中心に、枝垂れ桜が二千本以上、他の種類もいれると一万本以上の桜がある。東北地方では、桜の開花期がちょうど種蒔き時に重なるせいか、農業神(サ)の降り立つ場所(クラ)として、桜h特別に愛されてきた。今回の東日本大震災でも、復興のシンボルとして植えられた木としては、桜が最も多い。花見という一種の「祭」が、その土地に住む人々を、華やかに盛り上げることが期待されているのだろう。
 ところで最近の私は、桜だけでなく、木々の根元がどうしても気になる。我々が呼吸するように、木々は根で息をし、水や養分を吸い上げている。その根のある地面が、酷い状況なのである。
 U字溝や杜撰な石垣が土の通気を塞ぎ、また土のことを考えない乱暴な舗相装が、あちこちで窒息させているように見える。
 うちのお寺の境内や墓地には、大正五年に四人の檀家さんが三百五十本のソメイヨシノの苗木を植えてくれた。多くは健在だが、それでも最近、枯れ枝やテングス病などが目立ちはじめたのである。
 専門家に相談すると、「問題は根元にある」という。一緒に行って調べてみると、確かに枯れ枝の目立つ木の根元は、土が悲鳴をあげるような状況である。土手の斜面がU字溝で塞がれていたり、お地蔵さんの足場がコンクリートで広範囲に固めてあったりする。
 専門家のY氏が持参したエア・スコップで、直径十センチ、深さ一メートル近い穴をあちこちに開けてくれた。またU字溝の横の土を掘り、その溝や穴の中に、屑炭や竹、木の枝などを入れて通気・通水の隙間を確保したのである。
 境内の平らな部分にも桜は多いのだが、その周囲にもY氏はエア・スコップで溝を掘り、同様の手当てをしてくれた。要するに、溝の斜面から通気・通水が促され、踏み固められた地面もやがて柔らかくなって植物の息がしやすくなる、というのである。
 恰度その日は、秋の霖雨が降っていた。これまで表面を流れ去っていた雨水が、新たに掘った溝に吸い込まれていくのがよく見えた。そして翌日、枯れかけていた桜を見に行ってみると、なんと病葉が全部散り落ち、そこに小さな新芽がたくさん吹き出ていたのである。
「出ましたね」と、Y氏は言う。「新芽は一日で出るんですよ」笑いながらそう言うのだが、私には信じがたい光景だった。
 あらためて周囲を見廻してみると、なんとなく大地が息づきはじめているように思え、気持ちよかった。

 Y氏によれば、樹木の植えられる環境として最適なのは、土でできた土手の上らしい。そういえば、日本でも最古と言われるソメイヨシノの並木は郡山の開成山公園にあるのだが、あそこは今でも土手のままだ。明治十一年に植えられたソメイヨシノが今でも隆々として元気なのは、そのせいだろうか。
 だいたい、ソメイヨシノは寿命が短いという俗説にも、たいした根拠はないらしい。実際、新種として開発されたのが江戸時代中期、と最も早い説を採ったとしても、二百数十年しか経っていない。
 また枯れて寿命と思われた木も、じつは人間によって土が虐められていたせいではないか……。特に高度経済成長といわれた時代を思い起こすと、そう思えて仕方ないのである。本来の石垣であれば、土の通気・通水は妨げられないはずだが、最近のものにはその隙間がない。街路樹も、まるでアクセサリーのように窮屈な穴に植えられているではないか。
 一番の問題は、雨水が降ったその場に吸い込まれない在り方である。舗装し、U字溝から川へ全てを流し込むから、ちょっとした雨が続くだけで水害になる。一方で、どこの土も水や空気が不足し、苦しそうに喘いでいるのである。
 
 そろそろ桜を植えて楽しむだけでなく、それが長生きできる環境を作らなくてはならない。
 枝垂れ桜は、風の当たりにくい土手の斜面に植えられることが多いが、斜面というのは余程植物が生えていても、土が流されて減りやすい。うちの枝垂れ桜の根元には十年ほど前に竹と木で囲いを作り、毎年その中に枯れ葉などを入れている。根を冷やさず、土を補う努力を続けているのだ。
 一口に千年というが、桜がそれだけで生きるにはどれほど人間による養生があったことだろう。植えるだけなら誰でもできるが、それが長く受け継がれるためには、人間社会の横のつながりと同時に、縦の連なりも必要なはずである。
 三春の現在も東北の未来も、桜の様子が教えてくれるのではないか。もっともっと桜の根元を見つめ、植物に近づき、自然と共に生きる東北でありたい。
 


 『美味しい櫻』旭屋出版