うゐの奥山 その六拾三

 喉仏の効用


 このところ、誤嚥性肺炎で亡くなる方が増えている。長年、死因の第一位はがん、第二位が心臓疾患、第三位は脳う血管障害というのが不動の順位だったのだが、二〇一一年に肺炎が四位から三位に上昇し、今も三位を保っている。実際には、がんの方でも直接的には肺炎で亡くなったりしているため、もっと上位かもしれない。
 肺炎の菌は健康な人でも口の中に常在している。だから殆んどの肺炎の原因は、自分の口中の菌を食べ物と共に誤嚥し、それが気管から肺に入ってしまうことだ。なぜそんなことが起きるのかといえば、喉仏の周りの「喉頭挙上筋群」が衰え、筋肉が全体的に下がってしまうため、気管の蓋が閉まりにくくなるからだという。
 思えば喉は、呼吸・嚥下・発声をこなす絶妙な交差点である。嚥下のときは、瞬時に鼻に抜ける通路と肺に向かう気管を蓋をする。それは0.五秒の速技らしく、そのタイミングが少しずれただけで誤嚥が起きてしまう。なぜならばこの咽頭挙上筋群を鍛えることが重要になるわけだが、どうすればいいのだろう。最近読んだ『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』(飛鳥新社、西山耕一郎著)に詳しい指南があるのでそこから紹介してみよう。
 まずは、シャキア・トレーニング。これは私が以前からしているのだが、夜布団に横になったとき、枕をはずして首を挙げ、自分の足の爪先を見続ける。一分ほどそのまま保つとおそらく首に震えがくるはず。普段いかに首を鍛えていないか、実感するだろう。
 次は「嚥下おでこ体操」だが、これは片手の手根部で額を押さえ、額と手で本気に押し合って力が拮抗した状態を数秒保つ。こちらは起きて机に向かっている時などに相応しい。更に折り返し「顎持ち上げ体操」。今度は顎先に両手の親指を当て、顎と指先とで同じように力一杯数秒押し合う。数秒ずつ数回繰り返すうちに、喉仏がだんだん持ち上がり、首の皺み減っていく寸法である。
 西山先生によれば、六十歳を過ぎると誰でも喉仏が下がりはじめるらしく、特に男性の下がり具合が顕著だという。「喉仏」とは、たまたま火葬にした第二頸椎が、連結部位も含めて坐を組んだ仏さまに見えるために名付けられたようだが、生体でもじつに大切で微妙な喉の機能を、外側にわかりやすく見せてくれる存在だったのである。
 同書には、ほかにカラオケや「Think swallow」(飲む込むと意識して飲み込むこと)などの意義も詳しく説かれ、カラオケではお勧めの曲まで紹介している。高音と低音を交互にだすのが効果的らしいが、お経でそれができないか現在研究中である。ともあれ誤嚥性肺炎を防げれば、日本人の寿命は更に十年ほど延びるというのが西山氏の持論。ご興味あれば是非ご一読のうえ実践していただきたい。
 呼吸が大切なことは洋の東西を問わず常識だろう。お釈迦さまは『大安殿守意経(アーナ・アパーナ・サティ・スートラ)』「呼吸に意識を置く大切さについてのお経」を説いたし、創世記2・7には「神は人間の鼻に命の息を吹き込んだ。それによって、人間は生ける者となった」とある。しかしよくよく考えると、呼吸も嚥下も発声もすべて喉が一体化して行う不即不離の絶妙な仕事である。そこに神や仏がいると思ったとしても不思議はない。
 そういえば、ネコはどんなに高い所から落ちてもまず喉を地面に向け、それから頭と全身を喉に合わせて捻るらしい。喉頭挙上筋群を鍛えればネコみたいに喉が鳴らせるわけではないが、せいぜい喉仏を引き上げ、肺炎だけは防ぎたいものである。


                                  東京新聞  2017年7月9日