うゐの奥山 その六拾七
無熱の慈しみ
好く晴れた秋の日の午後、私はその人の来訪を楽しみに待っていた。以前からお寺の坐禅会に何度も参加し、顔も姿もよく存じあげているのだが、今日は特別だった。彼が長年修練してきた真剣による演武を見てほしい、そしてその上で話したいというのである。
こうして演武と書いたが、これまで私はそういう言葉を使ったことがなかった。私も一応小学三年から町の道場に通い、中学、高校でも剣道部に所属した。昇段試験では木刀による「型」も披露しなくてはならない。しかし日本武徳院師範・黒澤雄太さんの真剣による演武は、そんなものとは全く違っていた。すべてが真剣であればこその剣技であり、スポーツとして整えられた剣道とのあまりの違いに私は愕然としたのである。
黒革の専用ケースに入れて持参された三本の真剣は、どれも妖しいほどに輝いていた。しかし本堂で真剣を見ながら話すあいだは、真剣そのものの持つ妖気にしか思いが及ばなかった。
さて演武、という段になり、天気もいいし、十一面観音さまを祀った観音堂の前がよかろうということになった。恰度庫裏の改修工事のため、境内には多くの職人さんが来ている。彼らにも見てもらおうと思いつき、午後三時半に観音堂前に集合をかけたのである。
普段は黒澤さんの弟子が準備を手伝うのだが、今回は若い大工さんとうちの若い和尚に手伝ってもらった。一晩濡らした藺草の束を十本以上車から運び、なんとか時間までに専用台もセットし終えた。たまたまお墓参りに来た夫婦をはじめ、お堂の前には大工さん・基礎屋さん・ポンプ屋さん・電気屋さんなど二十人以上が集まった。いったい何が始まるのかと、みな黒っぽい道着と袴姿の黒澤さんを見守った。
濡れた藺草の束をセットする弟子がいないため、次のセットが多少ぐづついた点は否めない。地面がやや凸凹のある草原であったため、足場も良くはなかっただろう。しかし演武が始まると、夕日を浴びたお堂前は何とも言いようのない空気に包まれた。おそらくそれは、黒澤さん自身が真剣と一体になって発する気だったのだろう。どれほどの間か定かではないのだが、我々は不思議な時空の中に取り込まれた。
なにより剣道と違ったのは、「打つ」のではなく「斬る」ことだろう。剣道では、「打つ」ためにその瞬間に集中し、「気合い」もその瞬間に声として発する。あるいは事前に威嚇めいて発する気合いも多い。だから打ったあとに一種の解放が訪れる。いわば一瞬、気が抜けるのだ。しかし黒澤さんの剣は、本当に「斬る」。いや、「斬り抜く」と言ったほうが正確だろう。想定される人間の胴はそう簡単に切れるものではないため、それは瞬間への集中ではなく、集中の持続なのだ。集中が充分に高まってから動きだし、それは濡れた束を往復で切り抜いてもなお持続される。まるで「残心」を示すように気合いの声が響くのである。
黒澤さんは、「残心とは供養かもしれない」と話していたが、なるほどその声は哀しげにも聞こえた。
もともとは荒野の守り神だったとされる十一面観音に深く一礼し、演武は終わったのだが、私は青いスポーツカーで去っていく黒澤さんを見送ってから、あらためて武士道について考えた。
鋭い刃の真剣を持つからこそ人を傷つけない手立てを常に現実的に考える。それは『菊と刀』のルース・ベネディクトには理解できなかった武士の心ばえではないだろうか。もっと考えたい方は黒澤氏の著書『真剣』(光文社新書)をご一読いただきたい。
東京新聞 2017年11月26日
|