猫と涅槃図
涅槃図というものをご存じだろうか。お釈迦さまが亡くなったとき、弟子たちだけでなく多くの動物たちも悲しんだとされ、その様子を絵に描いた軸物が大抵のお寺に所蔵されている。それが涅槃図である。
これは普通、お釈迦さまが亡くなったとされる二月十五日に本堂などに掛けるのだが、うちのお寺では旧暦で涅槃会を行なうため新暦では毎年日が変わり、今年は三月三十一日になる。
さてその涅槃図だが、象た虎、犬はもちろん鹿や猿、山羊、リスなどの他に、亀や蛇、蟹、またいろんな野鳥や虫まで描かれている。ところがなぜか、猫がいないのである。
昔から猫は相当身近な動物だったはずだが、なぜ描かれなかったのか……。じつはその理由も昔から語り継がれてきた。
よく見ると、涅槃図の遠景には八本の沙羅双樹が描かれており、その右上にたなびく雲の上には、羽衣のような衣装を着た麻耶夫人(お釈迦さまの生みの親)が従者を従え、心配そうに眼下を覗いている。
腹具合がおかしいいというお釈迦さまを心配し、麻耶夫人は赤い袋入りの特効薬を投げてよこしたのだが、その袋がどうも左のほうの沙羅双樹の高い枝に引っかかったらしい。
「あの薬袋を取りに行ってくれる者はないか」と、誰かが言ったのか、ともかく木登り上手のネズミが真っ先に駆け上がったようだが、そのネズミの走る姿を見た猫が、つい本能を剥き出しに追いかけてしまい、殺生にまで及んだかどうかは知らないが、とうとう薬袋は届けられず、お釈迦さまは逝ってしまったのである。
なんと非道い猫であることか、ということで、懲罰的な意味も込めて猫は描かない、という伝統がいつしか出来てしまったらしい。
しかしそのことを悲しむ猫好きな絵描きさんも、どうやら昔からいたらしい。国宝に指定された東福寺の涅槃図をはじめ、日本には猫が入った涅槃図が数点ある。
なぜ猫が入っているのか、という物語も大抵は似かよっている。つまり、多くの涅槃図は絹の布に岩絵の具で描かれるわけだが、この岩絵の具が高価であるため、なかには絵の具が足りなくてなくなる場面もあったらしい。そんなとき、猫が絵の具を咥えて持って紀太、というのだが、単に「猫好きなので」とは言わないあたりがいじらしい。
しかし子どもの頃からこれを聞かされて育った私は、なんとなく違和感を感じてきた。うちで育ったタマもマリもミーも独歩も、まずネズミを見ても走りださなかった。最初に絵から外された理由がまずもって信じられなかった。むしろ、お釈迦さまが臨終だから集まれと言われても、冬場だし日向で寝ていたのではないか。それに、描かれたケースでも、自分を描いてほしくて絵の具を咥えてくるなんて、あいつらにそんな媚びるようなマネができるものか、と思ったものだ。
それはある年の大雪が降った翌日のことだった。まだ本堂には涅槃図が出ていたから、きっとその年の涅槃会はやや早目だったんもだろう。
たまたま学校が休みだったのか、私は炬燵でのんびりしていたのだが、ふと胸騒ぎがして辺りを見まわしてみると、赤トラの独歩がいない。しばらくすると雪降る戸外で布を振り回すような風の音がして、外に出てみると大きな白っぽい犬が走り去るところだった。布の音と思ったのはその犬が積もった雪の中を走り回る音だったらしい。行ってみるとブランコ付近に、子どもが寝そべって遊んだようなへこみが無数にあった。そしてその中の一つに、独歩らしい毛色が雪ぬ埋もれかけて見えたのである。
短い肢では地面に着きそうもない雪の中で、独歩はボロボロのぬいぐるみのようになって事切れていた。私は泣きながらまだ温かいその躯を本堂まで運び、大きな涅槃図の前の台上に置いた。そして寒い本堂でなけなしの『般若心経』と『消災呪』を唱えたのである。
お経が終わっても、私は正坐で震えたまましばらく涅槃図と台上の独歩を見上げつづけた。点けた蝋燭の光が独歩の濡れた毛を煌めかせ、それは中央に横たわった金色のお釈迦さまと重なって見えた。その顔にはもはや苦痛の色もなく、舌を少しだけはみ出させた口許も笑っているかに見えた。中学生だった私は脳裏に「雪中漫歩居士」とい名前を思い浮かべた。生まれて初めてつけた戒名だが、いま憶いだしてもそれは惨めさを感じさせない佳い名前だったと思う。
そしてそれ以後、私は涅槃図を見るとむしろ描かれなかった猫を強烈に見るようになった。むろん、中央に横たわった輝かしい赤トラ、いや、金色の涅槃像が巨大な猫に見えるのだが、こんなことで果たして仏教徒と言えるのだろうか……。
「ねこ新聞」6月号
|