瑞西の歌声
七月下旬、福島市の音楽堂で「ふくしま復興支援コンサート スイス国と共に」と題した大がかりなコンサートが行なわれた。当初は私が理事長を務める「たまきはる福島基金」主催の予定だったのだが、福島市がスイスのホストタウンになっていることから、実行委員会を組織して共催になってくださり、地元の小中学校、高校生大学生も巻き込んでどんどん規模が大きくなった。まずは事務的な労力を中心的に担ってくださった福島市市役所の方々に、この場をお借りして御礼を申し上げたい。
さて、なにゆえ「ふくしま復興支援」なのかというと、スイスの音楽家の方々は震災直後からチャリティーコンサートの益金を「たまきはる福島基金」に寄付し、福島の子どもたちを支援しつづけてくださった。スイス在住の日本人音楽家が中心になり、年に一、二度、数年続けてである。「YOROKOBI」という合唱団のメンバーを中心に支援者も次第に膨らみ、今回はその合唱団のメンバー三十五人のほか、国内外のプロの音楽家たちが大勢駆けつけてくれた。スイス大使館からも公使のマルクス・ロイビさんがお出でくださり、モーツアルトやヘンデルの曲のほか、津軽三味線や日本の歌もお楽しみいただいた。我田引水かもしれないが、本当に素晴らしい催しだったと思う。
ところでスイスは、明治の初めに外国の国名を漢字で表記したとき、「瑞西」または「端」一文字で表された。フランスの「仏」やアメリカの「米」は愛嬌としても、「英」「独」「露」「蘭」など、便利だしうまくイメージを捉えていると思う。ならばスイスがなにゆえ「端」という愛でたいイメージであったのか、つい考えてしまった。
おそらくその時点で日本人が知っていたスイスは、まず一八一五年に永世中立国として承認されていることが挙げられるだろう。一八六四年にはスイス人アンリ・デュナンの提唱によって国際赤十字が組織された。スイスの国旗と赤十字の旗が似ているのは偶然ではないのである。そうして敬愛すべきイメージで始まったスイスとのおつきあいだが、第二次世界大戦後は音楽の力も加わる。「おおブレネリ」などスイスの楽曲が日本語で歌われ、その鼓舞するようなメロディーに戦後の灰燼から立ち上がった日本人は励まされた。
もともと戦争や災害などの被災者救援のために組織されたのが赤十字だが、思えば今回の音楽家たちの善意もその精神に叶ったものだということになるだろう。航空運賃も滞在費も自腹を切り、しかも今回も福島の子どもたちのために百万円をご持参くださった、ありがたい限りである。当日は優秀な通訳もボランティアで手伝ってくださったから、「自腹を切る」などけっして誤訳はしなかったはずである。自腹の東北旅行を終えた彼らは、数日後に無事に瑞西に飛び立った。
西が愛でたいのは阿弥陀さんのお陰ばかりじゃなかったのである。
福島民報 2019年8月4日
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