偶像ではないけれど


 仏教はけっして偶像を崇拝する宗教ではない。それにしては、じつに多種多様の仏像を造形したものだが、冷静に考えれば、だからこそそれは偶像ではないのである。
 『広辞苑』によれば、偶像とは「伝統的または絶対的な権威として崇拝・盲信の対象とされるもの」とある。そういうものであれば、逆にこれほどのバラエティーはあり得なかったはずである。
 しかし歴史的に見ると、ムスリムが七世紀後半以降、「偶像破壊」の名目で何度も北インドに攻め込んでいる。多くのヒンドゥー教や仏教の寺院が仏像もろとも破壊され、僧尼も殺されているのである。外から見ると、仏像たちは偶像の如く大切に祀られているように見えた、きっとそれは間違いないのだろう。
 基本的に仏像とは、仏教の教えや実践の大切さを思い起こす「縁(よすが)」と考えていい。「空即是色」じゃないけれど、世界が「空」であることも、人は何らかの「色」によってしか憶いだせないのだ。
 坂口安吾は『日本文化私観』の中で、大切なのは心なのだし「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ」と断言した。「やむべからざる実質が求めたところの独自の形態が、美を生むのだ」というのだが、これほど自信をもって心やその「やむべからざる実質」を信じきれる人は今や希有ではないか。人々はどんどんデータ主義に陥り、一度も経験してないことは想像もできなくなりつつある。今回の東寺の仏像たちも、直接彼らに向き合わずに同質の高揚を感じることは、およそ不可能だろう。なるほど仏像は、こうしていつしか偶像に近づいてゆくのだと思えるが、それはヴァーチャルな世界に浸りたくない私だけのことだろうか。
 むかし唐代の中国に、丹(たん)霞(か)天(てん)然(ねん)という禅僧がいた。この人があるとき、あまりに寒いというので、木造の仏像を燃やしたらしい。譏(そし)られると丹霞和尚、「じつは舎利(釈尊のお骨、仏教の枢要)が欲しいと思って燃やしたんじゃ」と答えた。相手は「木仏を燃したって舎利が残るはずないじゃないか」と言ったので、丹霞和尚はすかさず「舎利が取れない(仏教の枢要を示せない)ような仏像だったら、燃したって別にかまわんじゃないか」と嘯(うそぶ)いた。
 これなども、仏像を偶像化すべきではないこと、大切なのは舎利(教えの核心)であることを、禅的に示している。今回の場合は十五体の仏像に向き合い、弘法大師の真言密教の神髄を感じてほしいのだが、はたして「焼けてしまって一向に困らぬ」ほどそれを理解し、実践することが一生の間に可能なのだろうか。
 仏像たちに相対し、おそらくすぐに感じるのは、その体躯の逞しさではないだろうか。時代による仏像の特徴という側面もあるのかもしれないが、私としてはやはり空海自身の優れた身体機能を想う。厚い胸板に隆々たる腕や脚、それは「山の民」ともつきあい、山岳修行や土木技術にも精通した空海独自の身体知を感じさせる。
 また若き空海(真(ま)魚(お))が「ひとりの沙門」から授かったという「虚空蔵求(ぐ)聞(もん)持(じ)法」の荒行も想う。大自然の中で独り虚空蔵菩薩の真言を唱え続けるというのだが、その数なんと百万遍。途中でやめると発狂するとまで言われる荒行である。命を落とす可能性も充分にあったが、真魚は生還し、その後室戸岬の洞窟で「明星来(らい)影(えい)す」という体験をする。明けの明星である金星が体に飛び込んで何かが開花し、意識が宇宙に溶け込むような体験だったという。
 四国には古来、「辺路(今は遍路と書く)」といい、海辺ちかくを逍遙し、海の彼方を遙拝するという修行があったらしい。たぶん真魚はその行を積んでいたのだろう。大和で『大日経』に出逢い、中国行きを決意したあとは、すぐに東大寺で得度して「空海」になる。それはいつでも「辺路」を憶いだせる新たな名前だった。
 空海は「即身成仏」したと言われるから、本当は舎利を語ってはマズイのだが、その舎利(教えの核心)はやはり総合性だろうと思う。 往復の船旅を入れても二年ほどの短い期間に、まずは梵語を学んで基礎を整え、儒教・道教・景教・拝火教などの他宗教にも学び、更には時の皇帝であった順帝にも謁見している。青龍寺で恵果(けいか)阿闍梨から密教の神髄を伝えられただけでなく、空海は書や詩、文学、絵画、音楽なども総合的に学んで戻ってきたのである。そんな空海が、マントラ(真言)を唱え、曼荼羅に分け入り、宇宙と一体化する智慧(法界体性智)を会得したところから、この仏像たちの独自の形態と美が生みだされた、としたら、どうだろう? 偶像ではないけれど、焼けては困るし、思わず「南無大師遍照金剛」と呟いてしまう。舎利の欠片でも拾いたければ、この際真言を一つでも覚えて唱えてみることだろう。


                               月刊「うえの」2019年3月号