仮設トイレでの快哉
シナイ半島への陸自派遣が決まった。二回目の米朝首脳会談も決まり、日ロの領土交渉も大詰めに向かいつつある。世の中を見まわすと息苦しい出来事に満ち、また私も原稿の〆切が間近に迫っていたのだが、二月十日のお寺ではそれどころではないことが起こった。庫裏改修工事のため外に仮設していたトイレが、これまでにないという触れ込みの寒波で四つとも凍り付き、水が流れなくなってしまったのである。
翌日には十一時から本堂で法要がある。それまでには何とかしなくてはと、まずはいつものポンプ屋さんに電話してみた。以前、「聖『冬のポンプ屋さん』」でも書いたように、檀家のポンプ屋さんは時を嫌わず助けてくれる。仮設トイレを設置してくれたのも同じ業者で、前にもドライヤーで溶かしてくれたのだった。もう夜だし、明朝にでも溶かしてくれればと軽い気持ちで話したのだが、なんと明日は息子の結婚式だという。しかも会場は仙台だというからどうしようもない。
さぁ、どうするか……。こんなとき、じつに的確なアイディアと行動力を示すのが我が女房である。気がつくと板の間に坐り込んでビニールの「プチプチ」を鋏で切っている。通りかかった私にも切れと言うのだが、その時点ではどういう使い方をするのか分からず、切る幅も長さも判然としない。
どうにか間に合うだけのプチプチが出来ると、女房は大量のホッカイロと共に箱に入れて外に出た。外は雪が降りしきり、念のためトイレの水栓をまた回してみたが水はやはり出ない。水の溜まるプールにお湯を運び入れたが、中の氷は溶けきらない。かじかむ手でホッカイロの袋を私が破り、それとプチプチと小さく切ったガムテープを中の女房に手渡す作業が続いた。女房はホッカイロを次々に入水管と出水管に貼り付け、そこにプチプチを巻いてガムテープで留めるのだった。洋式、和式、それから小便器と、作業はしばらく続いた。襟元から雪が入り、指先も冷たい。ようやく作業を終え、最初に処置したトイレの水栓を捻ると勢いよく水が出た。あとは時間の問題と、安堵してトイレを後にしたのは夜の八時五十分、優に一時間以上が経っていた。
時間の問題で溶けるはずと、二人でその後は祝杯を挙げ、むろんポンプ屋さんの結婚にも祝杯を追加し、その晩は安心して寝たのだが、時間の問題を超えるほどの気温の問題だったのか、朝起きて早々に行ってみると細く水を出していた小用器以外は全部また凍っていた。
私は朝食後に塔婆を書き、本堂の暖房を入れ、どうしようかぐずぐず考えていたのだが、女房がいつのまにかトイレに小さなストーブを運び込んでいた。そして午前十時すぎにとうとう全栓が開通し、二人で快(かい)哉(さい)を叫び、無事に法要を迎えたのである。首脳会談や憲法の問題もたしかに重要だが、すべては円滑に用が足せての話である。
福島民報 2019年2月17日
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