後の祭り


 つぶさに調べたわけではないが、クリスマスから新年にかけて実家に戻るという習慣は、世界中にあるのではないだろうか。自分の原点である故郷を確認し、各地での奮闘から離れて休息し、ファミリーとの団欒を楽しむ。中国のように、それが春節と旧暦に従う場合もあるが、人々の大移動の主旨は変わらないはずである。
 特に日本では、お盆と暮れの里帰りによって先祖も含めたファミリーの紐帯(ちゆうたい)が保たれているような気がする。
 つい先日はドイツのメルケル首相が珍しく感情をさらけ出し、「今年が最後のクリスマスにならないように」と外出の自粛を求めた。その様子からも、クリスマスや新年をいかに大切に考えているかが伝わってきた。十一月以降、新型コロナの感染者や重症者、死者の数が激増しているのだから当然だろう。世界中ですでに百六十万人を超えているのだ。
 島根県が今年五月の大型連休に向けて出した広告は、その意味で秀逸だった。「早く会いたいけん、今は帰らんでいいけんね」。方言のもつ力も手伝い、故郷側のやさしい気持ちが伝わってくる。コロナ禍のなか慌てて帰んでも、今は我慢してお盆や正月に戻ればいいけんね、という親たちの声が聞こえてきそうだ。連休中の帰省をなんとか怺えた人々も慰められたに違いない。
 ところが政府はそうした人々の思いを踏みにじるような決定を突然に発表した。例の「Go to」を年末二十八日から一月十一日まで全国的に一時中止するというのである。決定自体は「ようやく」の感も強いし、医療現場の逼迫を思えば当然の対処だ。しかし問題はその遅すぎた対処と決定プロセスである。国交省も事前に知らなかったというのだから、また安倍政権譲りの「側近政治」だろう。前政権が突然に発表した学校の休校措置そっくりだ。国会も休会し、党内でのオープンな審議もせず、重大なことが補佐官などとの「内密」な相談で決められていく。この国の民主主義は大丈夫だろうか。
 今月七月、東大んどの研究チームが「Go to トラベル利用者に於ける有症者数はそうでないグループの二倍」と発表した。しかしそれには反応せず、各社の世論調査に於ける支持率下落には敏感に反応した。しかもその決定に菅義偉総理の発言、「年末年始は、集中的に対応できる。そういうチャンスだという思いの中で判断した」という台詞には、国民のお正月を台無しにすることへの申し訳なさ、慚愧の念が微塵も感じられない。
大切な年末年始のために、なぜ「勝負の三週間」に何の勝負もしなかったのか。一般国民のみならず、支援されるはずの観光業界の混乱と落胆もいかばかりだろう。時宜を得ない対処ではあったが、ともかく今は「後の祭り」にならないことを念ずるばかりだ。「あの世で会うけん、帰らんでいいけんね」では困る。
福島民報「日曜論壇」 2020年12月20日