虻蜂取らず
昔、先輩の和尚さんに言われたことがある。「忙しいのは仕方ないにしても、忙しそうにしてはダメだ」と。僧侶の最大の仕事は人に向き合って安らぎを感じてもらうことだから、という理由だったと思う。
それが長年の指針になるにつれて、忙しさを感じない術も少しづつ身についてきた。しなければならない多くのことを、とにかく縦一列に並べるのである。やる順番さえきっちり決まれば、その時は一つのことに集中していける。あれもこれもしなくてはならない事態は頻発するが、どちらを先にすべきかを一瞬に判断すればいい。要するに、たとえ二つでも横並びになると、人は忙しいと感じるのである。
思えば私も若いとき、宗教の世界に興味が深まる一方、モノを書きたい欲求も高まっていった。僧侶か作家か、二者択一しかないと思ってずいぶん悩んだものだ。しかし師事する先生に言われてハッとした。「そんなに悩むなら、両方したらいいじゃないか」
急に地平が拓け、順番も自然に決まった。書きたいテーマが宗教に関係する以上、先に道場に行って体験するしかないと思ったのである。
世に「二兎を追う者は一兎も得ず」とか「虻蜂取らず」などという諺があるが、兎は一羽捕まえてからじっくり二羽めを追えばいいのだし、虻蜂だって、脅威のつよい蜂からやっつけ、その後で虻を眺めてみれば、さほど恐るべき敵でもないと気づくのではないだろうか。つまり虻は、蜂と一緒に来たから恐怖を倍増させていただけなのだ。
今の政府にとっては、新型コロナウイルスの感染拡大と経済再生が、虻と蜂かもしれない。そして両方を同時に捕まえようとするから当然どちらも捕まらない。感染抑制と「Go To」キャンペーンを共に実行することは、まさに「虻蜂取らず」そのものだろう。
この文章は、お盆の前に書いている。だから今年のお盆の様子がまだわからない。片や「Go To」の県境を跨ぐ移動も妨げないと言うが、県によっては「里帰りはしないでくれ」と明言している。こんな状況でいったいどんなお盆になるのか、不安である。
うちのお寺では、今年は県外の檀家さんのため、お盆の卒塔婆申込書に「代参希望」かどうかを訊いた。つまり直接お墓には行けないが、代わりにお参りしてほしいという希望を受け容れたのである。結果は例年より卒塔婆申し込みじたいがずいぶん増えた。殊に都市部の「肩身の狭い」人々の申し込みが多かったのが印象深い。
政府には、すべきことが多いのは承知している。経済、外交、福祉、環境問題だって一日も停滞できない。縦一列どころか「皿回し」をしているようなものだろう。しかし今回のコロナ禍は、扱いを間違えると皿が全部落ち、割れるかもしれないと事態を心得るべきだろう。虻にも蜂もの刺され、皿が全部割れては、もはや立ち上がる気力も湧かない。
福島民報「日曜論壇」 2020年8月16日