経過観察


  最近、「経過観察」という医療用語に些か思うところがあった。
 たとえば脳内の血管をMRI(磁気共鳴画像装置)で撮影すると、腫瘤(しゅりゅう)が二つほどあったとしよう。医師が画像を見ても
悪い顔つきではない」という。しかし急に悪い顔つきに変わることも皆無とは言えない。ならば手術をするかといえば、現在は何の症状もないのだし、場所も場所だから手術のメリットよりデメリットのほうが大きい。したがって「経過観察にしましょう」となった。これは親しい友人の例である。
 かく言う私も、この春腹腔鏡(ふくくうきょう)による盲腸がんの摘出手術を受けた。早めの発見だったし、高度な医療看護にも恵まれて無事退院。手術翌日からリハビリが始まったのには驚いたが、お陰で筋力の衰えもほとんど感じないで日常に戻ることができた。
 盲腸といえばがんはがんだし、近くのリンパ節十五カ所の細胞診も受けた。結果は0/15、つまり転移はないということで現在は「経過観察」中だが特に薬も服用していない。担当の先生には「お望みんら抗がん剤もあります」と言われたが鄭重(ていちょう)にご遠慮申し上げた。笑って承諾してくださる先生であることがありがたかった。
 こうして友人と私自身の「経過観察」について書いてみると、いずれも患者本人の心情に配慮した賢明な対処であると痛感する。
 翻って思うのは、原発事故以後に県内で続けられている甲状腺検査のことだ。当時ゼロ歳~十八歳だった全ての子供太刀を対象に、すでに韓国で「過剰診断」が問題になった超音波による検査が今も福島県で続けられているのだ。学校での集団検診は任意であっても半ば強制的になるのも気になる。
 先ほど「盲腸とはいえがんはがん」と書いたが、ここでは若年型甲状腺がんの特殊性をよく知る必要がある。つまり「それでもがんなの?」と思うほどそれは悪性度が低く、早期発見・早期治療という原則さえ当てまらない。なかには途中で増殖しなくなったり逆に小さくなるケースも多いから、まさに「知らぬが仏」.IARC(国際がん研究機関)は、「被曝の可能性がある場合でも甲状腺超音波検査をはじめとしたがん検診的なことはすべきでない」と規定している。まして福島の子供たちは甲状腺がんが増加するほど被曝してはいないのだから尚更だろう。検査は何より被検者自身のメリットを最優先すべきものだ。
 「がん」と平仮名で書いてはいるが、その言葉はすぐに「癌」に変換され、言いしれぬ悪魔的力を揮う。私もショックだったが、子供たちがどれほど苦悩しているかと想うといたたまれない。今回の一斉検査が世界的プロジェクトなのは理解するが、これまでのやり方はいったん休止し、被検者の利益や心情を再検討してみては如何だろうか。今後の予算はすでに診断されてしまった子供たちのケアに振り分け、最新の医療常識に従って何か自覚症状のある人のみが希望すれば受検すればいいのではないか。
福島民報「日曜論壇」 2021年6月20日