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閉塞的な現代を生き抜く上で老荘的な考え方は大切だと思います

 生まれ育った福島県三春町の寺院、で住職を務める一方、芥川賞作家として数多くの著書を発表し続けている玄侑宗久さん。
 仏教や老荘思想の魅力から、コロナ禍で感じていることを、次作の構想まで、いろいろなお話を伺いました。

岐阜は仏教的なのが浸透しているまち

 ―7月11日に岐阜市で行なわれた「心の好縁会」を大変興味深く拝聴いたしました。
 講演会を共催された雲龍山大興寺(岐阜県揖斐川町)のご住職・井川周文さんとはどのようなご縁で…?
玄侑  最初にお会いしたのは2006年に出版した『からだに訊け!』(春秋社刊)という本で、曹洞宗総持寺貫主の故・板橋興宗禅師と対談させていただいたときです。禅師さまの傍らに臨済宗の和尚(=井川さん)がいらしたので、非常にびっくりしたのを憶えています。
―「こころの好縁会」にも、これまでさまざまな宗派い方が登壇されています。
玄侑 ええ。北法相宗の大本山である清水寺の貫主さんや、曹洞宗愛知県尼僧堂の青山老師とのご縁も、大興寺さんを通して戴いたようなものですし、そういった宗派横断的な活動は非常に“日本的”ですよね。
―岐阜の印象はいかがですか?
玄侑 まず水がきれいとうのがありますし、鵜飼船にも乗りましたけど、鵜匠の装束は平安時代からのものでしょうか、ああいったものが残っているのは素晴らしいことだと思います。
 私が住職を務める福聚寺でも、表具などは岐阜に頼んでいますし、亡くなった父の頂相(禅僧の肖像画)をお願いしたのも岐阜の方でした。
 やはり生活のいろんなところに、昔からの仏教的なものが浸透しているんでしょうね。
―9月2日には、朝日カルチャーセンター名古屋教室で講演会「玄侑宗久なりゆきを生きる」も開催されます。名古屋の印象は?
玄侑 私にとって名古屋はギリギリ日帰り圏なんですよ。お寺のほうが忙しいという理由もあって、なかなか一泊する機会がないのですが、一度くらいはゆっくり過ごしてみたいと思っております。 

いろんなものが混在する懐の深い国

―先ほど“日本的” という言葉がありました。「こころの好縁会」でも、仏教は「日本では疫病を鎮めるために受容されてきた」というお話でしたが、仏教本来の解脱目的ではないところが、すごく“日本的”ですね。
玄侑 万葉集もそうですが(日本は)仏教だけでなく、いろんなものが混在していて、それらを統一しようという意志も働かない。その懐の深さがいいところだと思います。
 聖徳太子にしても、日本の国家をつくるときに仏教と道教、儒教のすべてを重視していました。冠位十二階の最高の色は紫ですけど、あれは完全に道教ですからね。
 弘法大師もそうですが、こんなにいろんな宗派が並列してあるところってないんです。真言宗も、中国ではなくなってしまうのですが日本には残っている。やはり、統一して淘汰するという発想がないからなんでしょうね。
―お盆の先祖が帰ってくる発想も、本来の仏教んはありません。
玄侑 旧暦の1月15日と7月15日に先祖を迎えるというのは、仏教以前からあった慣習のようですね。それがたまたま仏教のお盆(盂蘭盆会)と重なったわけです。
 しかも7月15日の1週間ほど前が、ちょうど旧暦の七夕です。日本の七夕は竹を立てて短冊を結ぶでしょう? あれは中国にはないことで、短冊を通して誰に願っているのか? というと、祖霊神(亡くなって神様となったご先祖)なんですね。竹を立てて、ご先祖様がお帰りになる際の目印にしているんです。
 つまり日本の七夕は、本来なら織姫と彦星が一年に一度だけ会える星祭だったものが、お盆の“プレ”行事
として定着していったんですね。

真面目な小説だけでなく笑も大切にしたい

―興味深いお話で聞き入ってしまいます。一昨年に文庫化された『荘子と遊ぶ 禅的思考の源流』(ちくま文庫)も、面白おかしく書かれているので何度でも読み返したくなります。
玄侑 あれは書いているときから楽しかったですね。荘子が好きなんですよ。
―影響を受けた作家はいますか?
玄侑 北杜夫さんです。あの方はユニークで面白い「どくとるマンボウ」シリーズだけでなく、非常にしっとりとした作品も書くんじゃないですか。そういった二面性は影響を受けていると思いますね。
―たしかに玄侑先生は、芥川賞受賞作『中陰の花』(文春文庫)をはじめ真面目な小説をお書きになる一方で、笑いの要素を取りれた作品も多いですね。
 加えて「無節操な拙僧」「不測に立ちて無有に遊ぶ。むうううう。無有有有有」といったユーモラスな表現や、ニャンコ先生といった昔の漫画の話題なども…。
玄侑 (笑)小説というのは、ふざけてはいけないような雰囲気がありますから、それだけを書いているのはとても苦しいんです。ですから、どうしても目線を斜めに持っていくというか、笑いが生まれる場所をほかに求めてしまうんでしょうね。

コロナ禍の今こそ老荘的な考えが必要

―コロナ禍の時代をどのように感じていますか?
玄侑 息苦しく感じるときが多いですね。世の中が組織の理論で動いていく中で、個という発想がないがしろにされていて、両者があまりにも隔絶されているのではないでしょうか。諸子百家というのは全部で187くらいありますが、老子と荘子以外はそれぞれが「国家を認めた上で、うまく回していくにはどうしたらいいか」という論理を競っています。その中でも圧倒的に優れている儒家は、東アジアの多くの国の国家原理になっていきます。
 しかし老子は、国は小さいほうがよくて、人口も少ないほうがいいという「小国寡民」を説いている。「川向うから鶏や犬の声が聞えるけれども、行ったことはない。それが理想だ」と。そういう考え方って、簗があろうとも切り崩してリニアを走らせてしまえという現代文明とは、全く相容れないんじゃないですか。
 荘子も、組織の中で認められるかどか、などとは別の次元で、人の生きる意味や幸せを考えています。
 ですから、国家がよくなれば本当にみんなが幸せになれるの? ということに思いを巡らせる手立てとして、あるいは現代のように閉塞的な状況を生き抜く上でも、老荘的な考え方というのは非常に大切だと思います。
 とうに荘子は、非常識さ加減も含めてとにかく面白いですから。

次作のテーマは親や業との向き合い方

―今後の予定などは
玄侑 なかなかお寺のほうが忙しいのですが、できるだけ執筆の時間をつくっていきたいと考えています。
 いま小説でやろうと考えているのは「厳罰化が進み、一度犯罪を犯すと社会に戻ってくるのが難しくなりつつある世の中で、業というものとどのように向き合っていけばいいのか?」ということなんです。
 とくに現代は、インターネットの検索などで、どんな過去も簡単に明るみに出てしまう。受け継ぐ必要のない業まで受け継がざるを得ない時代ですから。
―ご著書『禅的生活』(ちくま親書)では、江戸時代の高僧が「嫁姑の不仲は、いま何かをしたからではなく、これまでの記憶を憎んでいたのだ」と叱ったエピソードが紹介されています。
 つまり、記憶の積み重ねが「好悪や先入観、妄想を生んで心の鏡を曇らせてしまうのだ」と。
玄侑 我々にとって本当に大事なことは「今も忘れていないこと」なんですよ。
―といいますと。
玄侑 昔は“忘れる”というフィルターを通して、逆に「忘れられないこと=大事なこと」を知ることができた。しかし、これはコンピューターを導入したときから予想されたことですが、すべてが「いつでも検索できてしまう均等なデータ」になってしまうと、何が大事なのかが分からなくなってしまうんです。
 そういう世の中にあって、たとえば殺人犯の子どもはどのように生きられるのか? そして、その業を次の世代に伝えないようにするにはどうすればいいのか? そういった物語を書いているところです。
―完成を楽しみにしています。ありがとうございました。

※文章中で紹介されておりました朝日カルチャーでの講演会は中止となりました。

月刊「なごや」2021年8月号