アナーザーストリーズ

 歴史とは、スポットライトの当てようで一変してしまうことがあるものだが、はっきりそれを意図して作られているのがNHK・BSの「アナーザーストリーズ」という番組だろうか。
 一九五〇年七月二日未明、京都鹿苑寺(ろくおんじ)の舎利殿「金閣」が同寺徒弟だった林養賢の放火によって炎上した。私がそのことを初めて知ったのは高校生の頃、三島由紀夫の小説『金閣寺』によってである。むろんそれは小説であり、名前も変えてあった。しかし主人公の心理描写は真に迫り、その周囲の人々の描写もいかにもありそうに思えた。特に金閣寺住職の在りようには同じお寺の生まれの若者として疑問を抱き、火を()けられても仕方ないと思った記憶がある。
 その後道場に行ったあとに、私は水上勉の『金閣寺炎上』を読んだ。そこでは林養賢という名前が(さら)され、吃音(きつおん)のコンプレックスや複雑な母子関係、趣味の尺八のことなども丁寧に描かれていた。水上氏が二十年もかけて取材したさまざまな知見が、ドキュメントタッチでまとめられていたのである。
 しかし私は、最終盤に示された放火当日の最後の生き証人、江上大量氏の言葉に真実を感じたものの、作者が描く住職像には納得できなかった。幾つかの具体例を示し、それを(もっ)て「吝嗇家(りんしょくか)」と書くのだが、私にはそれらの具体例が自身や弟子への厳しさとは思えても、いっかな吝嗇(けち)とは思えなかった。恐らくそれは、私がすでに道場生活を経験していたからだろう。
 後に金閣寺住職となる有馬頼底老師によれば、当時住職だった村上慈海氏はものを徹底して無駄にせず、人間は最低限のもので生きていけることを自ら実践し、周囲に影響を与えた敬服すべき先輩だったという。また托鉢(たくはつ)を続けて金閣を再建し、再びかなりの拝観料が入るようになっても、その処世の態度に変化はなかったと話している(吉岡忍「『金閣炎上』が刻む墓碑銘」より)。
 慈海和尚ははたして二人の書いた本を読んだのだろうか。問われれば「読んでいない」と答え、「勝手にやらしておけよ、あれ(小説家)はあれでメシを食っとるんだ」と言うだけだったらしい。弟子の不祥事については「私の不徳の致すところ」としか言わず、とうとう何の弁明もしないまま、慈海和尚は一九八五年に遷化された。
 今回の「アナーザーストリーズ~金閣炎上」には、そうして一方的に(はずかし)められた師匠(慈海和尚)をなんとか雪辱したいという弟子たちの強い思いがはたらいている。私の思いとも重なったので番組でご一緒することになったのだが、長期の取材を一時間に凝縮させた良い番組に仕上がっていると思う。
 今は再放送後も視られtる仕組みがいろいろあるので、是非ご覧いただき、「金閣」への思いを塗り替えていただきたい。
 

福島民報 2021年12月12日