コロナ禍が永く続き、人との接触が控えられてきた。今も接触する際はマスクを着けて距離をとり、家族以外との会話はほとんどマスク越しになされることが多い。
そうした接触を続けていると、いわば貯金を使うような気分になってくる。つまりコロナ以前からの親しい関係だからマスク越しでも通じているが、新たな関係を築くことはできそうもないという感覚である。
なかには
矢鱈に顔を近づけて話す人もいる。お互いマスク越しだと聞き取りにくいのは確かだが、なにもそこまで、と感じて思わず引いてしまうこともある。コロナが人間関係に甚大な影響を与えるなか、私たちには新たな作法が必要なのだろうか。
九十七歳のSさん(女性)が亡くなったのは十月初旬だった。
檀家さんが亡くなると、家族に「お知らせ」に来ていただき、末期の状況や故人の生い立ち、性格、足跡などを聞くのだが、しばらくすると三人の子どもたちがやって来た。当然マスク着用である。
もうその頃は、第五波が小さくなりつつあり、福島県全体の感染症は一桁になっていた。とはいえ、消毒やマスクへの意識は変わらず、歯がゆいけれどそれがあると安心、という妙な気分だった。
客を迎えれば当然お茶を淹れて出す。お煎茶だが、湯冷ましの間に大抵は入院した時期や病気のこと、末期の様子などを訊く。すると腎不全で入院した期間はあるものの、今どきなんと自宅で亡くなったという。これも長男が七年前に東京での公務員生活を切り上げ、母親と暮らす決心をしたから出来たことだろう。七十歳を過ぎた長男の目許と姿勢に、なんとなく清々しさが感じられた。
大きめの座卓を挟み、窓際から長男、長女、次男が普段着で坐っている。お茶を出すと、いつもながら一瞬だが微妙な空気を感じた。つまり、お茶はマスクを外さないと飲めないわけだが、それを承知で出しているのだから、どうぞ外してください、と言っていることになるのではないか。ならば外そうか……、いや、すぐにはマズイだろう……、というような客側の安堵と
躊躇の空気である。
こちらとすれば、冷めないうちに飲んでほしいのは山々だが、すぐに外して飲まれるのもガードが低すぎるように思える。これまた微妙な気分なのである。三人は鄭重に頭を下げたがすぐに飲むことはせず、故人の生い立ちを代わる代わる話してくれた。仲の良さそうな
兄姉弟だった。
故人は夫と共に大正十四年に生まれ、小学校の同級生同士での結婚だったという。二十歳で結婚後、夫はすぐに召集を受けて出征し、留守の間Sさんは夫の実家で稼業の運搬業を手伝う。依頼された荷物を荷車で運ぶ仕事だが、まさか荷車引きは男性人夫がしたのだろうし、荷積みや賄いなどを手伝っていたのだろうか。いずれにしても夫のいない婚家での生活の苦労は、今まで想像するのも難しい。
すると今度は長女と次男が、故人は十一人兄弟の次女だったと言い、多くの兄弟姉妹の間で「
揉まれたのだろう」と言う。
戦争体験のせいか一滴も酒を飲まなかった夫だが、日々の料理にもSさんは力を注いだ。ある日お寺に二人で持参してくれたのは「卵の漬け物」。鶏卵を殻ごと味噌に押しつけ、その窪みに今度は殻を割った卵の黄身だけを入れる。何日かおくと琥珀色の物体ができるのだが、これが滅法旨いのである。数日後、Sさんはお寺に来て、「言い忘れてました」と言う。「味噌をタッパーに取り分けてからやらないと、味噌のほうが使えなくなります」。味噌も卵も大好きだった私の父は、すぐさま母に伝えていたものだった。
気がつくと三兄姉弟は昔その目を潤ませており、「どんなお母さんでした?」と私が訊くと、長男が「やさしい人でした」と言って涙を溢れさせ、マスクの上から鼻をつまみ、鼻の両側を伝う涙をマスクで吸い取った。やがて弟が受験に上京する際に渡された小遣いのことを告白し、姉が「わたしもよ」と言うと、長男は少し間を
措いてから「俺もだよ」と呟いた。みな自分だけのための秘密の小遣いだと思っていたらしい。
な~んだ、と言いながら長男はマスクを外し、黙って両手でお茶を飲んだ。すると長女も次男も同じようにマスクを外してお茶を飲み、それぞれの仕草で涙を拭うと黙ってまたマスクを着けた。まるで涙で出た水分をお茶で補うかのようだったが、ほどよく冷めたお茶には昂奮を醒ます効果もあるようだった。
その後は長兄を中心に、夫を見送ったあとの生活が語られた。もともと体を動かすことが好きで踊りを習っていたSさんだが、高齢になって始めたゲートボールにものめり込んだ。この町で女性初の一級審判員になったというのだから推して知るべし。
私は三人の空いた茶碗にお茶を注ぎ、今度は三人で温かいうちに手を伸ばした。
「和尚さん」と、長兄が太い眉を静かに動かしなから言う。「こうして母をしっかり
憶いだすことができて、ありがたいですよ」。すると長女も「これまで思ったこともなかったことも、思いましたし」。弟は「やっと亡くなったという実感も湧いてきました」。
「それはよかった」と言って私も自分のお茶を飲んだ。ふと外を見ると薄暗く、すでに一時間が経っていた。
家族の死は最大の一期一会、それは私にとっても彼らの出逢いに立ち会う短くも深い時間だった。コロナ禍での壺中の天、その入り口にはどうしてもお茶が必要である。世の中に絶えてお茶のなかりせば、……人の心はのどけかるまじ。
「淡交」 2022年1月号