文化の力

 ロシアがとうとうウクライナの図書館を破壊しはじめた。いわゆる「焚書(ふんしょ)」で、ウクライナを文化ごと滅ぼそうというのだろう。
 焚書といえば始皇帝の「焚書坑儒(こうじゅ)」を憶いだす。実用書以外の諸子百家の本を提出させて燃やし、儒者たちを生き埋めにした。
 ナチス・ドイツも、ドイツ語とドイツ文学の「純化」と称し、ナチズムの思想に合わない「非ドイツ的」な本を約二万五千冊、見せしめに焚書した。連合国陣営のフランクリン・ルーズベルトは、「本は燃えても、本の命は絶えない」と言ったようだが、こうした独裁者による文化破壊のダメージは底知れない。毛沢東の文化大革命なども同列の犯罪だろう。ただヒットラーも始皇帝も毛沢東もいわば自国内での蛮行だが、プーチンは征服地でそれをしようとしている。いや、彼にとっては彼の地も自国のうちか……。
 そういえば日本も、併合した韓国で日本語教育を強制した、これは焚書とは違うものの、一国の文化への強烈な抑圧には違いない。日韓関係はもう長いことギクシャクしたままだが、私はどうもその時の恨みが尾を曳いている気がして仕方がない。征服には必ず報復が伴い、尾を曳くからだ。
 日本も敗戦後、じつは日本語が廃止されて英語が強要される可能性があった。民俗学者で国文学者、歌人で小説も書いた折口信夫は、「日本文化の永遠の敗北」を危惧し、『古代研究』の執筆に没頭した。彼の言う「古代」とは、特定の年代ではなくむしろ日本人の根源、依って立つ基盤の意味合いである。『万葉集』を初めて全口語訳したのも折口の大きな仕事だが、それもやはり源へ遡る旅だったに違いない。戦争で忘れかけた命の源を、蘇生させようとしたのだろう。
 同じく戦時中、『禅の思想』と『浄土系思想論』を著し、更に『日本的霊性』によって日本人の精神の根幹を問う仕事を続けたのが鈴木大拙だった。すでに古希を過ぎた大拙翁だが、その情熱はやはり戦争で疲弊した日本人の心の復興に注がれていた。
 一九三二年、国際連盟の勧めでアインシュタインとフロイトの往復書簡が実現した。講談社学術文庫『ひとはなぜ戦争をするのか』がそれである。五十三歳のアインシュタインの問いかけに対し、七十六歳のフロイトの返答はけっして明るくない。しかし「パンドラの箱」の底の希望のように、彼は最後に「文化の力」に期待をかける。「実は人間には本能というものがありません」。「人間は、生きる上で必要なありとあらゆる行動を、後天的に学ばなければ実行できない」ものだと言い、文化の力こそ人間の「心と体の全体の変化」をもたらし、戦争に対して強い憤りをもつようになるというのだ。
 焚書がいかに野蛮な行為であるかを、あらためて痛感するのである。

福島民報2023年4月2日