昨秋、私が兼務しているお寺で仏像が盗まれた。総代長からの連絡で行ってみると、離れたお堂の入り口の錠(かぎ)が壊され、三体の仏像と古い燈籠の上部が跡形もない。本堂のほうも、本尊さまをはじめ同じ棚に置かれていた幾つかの仏像がきれいになくなっていた。いわゆる金目の磬(かね)や殿(でん)鐘(しよう)はそのままだから、明らかに仏像狙いの窃盗と思えた。
このときの気持ちを、何と言えばいいだろう。多くの檀家さんも丘の上の境内に集まり、あちこち見廻って単発的に言葉は発するものの、誰もが大きな虚脱感に包まれていたように思う。
お堂に祀られていたのは薬師如来、十一面観音、阿弥陀如来で、阿弥陀さまは権現さまと呼んで廃仏毀釈を免れた。どれも相当古い木像だが、縁起では薬師如来は奈良時代から説き起こされている。
私が三春に戻った当時は六十年に一度の御開帳で、それではタイミングが悪いと一生拝めないと聞き、協議の末に十二年に一度うさぎ年のたびに御開帳することにした。そして御開帳以外の年も、毎年四月八日に檀家だけでなく地域の人々も参加する法要を行なってきた。近所には、毎朝このお堂を外から拝んで一日を始める人もいた。先に虚脱感と申し上げた気分、ご理解いただけるだろうか。
ともあれ、警察に届けてもらい、私は俄かに気になったもう一つのお堂に行ってみた。外扉は閉まっていたが内扉が一尺ほど開いており、閉じられた厨子の前の霊(りよう)具(ぐ)膳(ぜん)が横にずらされていた。不審に思い、厨子を開けてみると、やはり、無い。観音像が消えていたのである。
いずれも人のいないお堂だが、例えばうちの寺の観音堂なども、夜中に誰かが来ても気づきようがない。防犯設備も検討を要するが、取り急ぎ私と女房は観音像に避難していただくことにした。女房が総代さんや歴史民俗資料館の人にも手伝いをお願いし、その日のうちに秘密の場所にお隠れいただいたのである。
ほどなく兼務寺の総代長から電話があり、被害届を出すため警察署に来ているのだが、被害総額を決めないと届けが出せないと言う。「幾らにしたらいいでしょう?」真面目にそう訊くのである。「そんなの分かるはずないでしょう」と言ったが、それでは総代長も困るだろう。もしも仏師に新たに彫ってもらえば一体一千万はかかるだろう。そう思った私は「思い切って三千万とか言っといてください」と答えたが、結局彼は警察署で気後れしたのか、具体的な数字は言わなかったらしい。
今年一月十四日、驚いたことに犯人の一人が捕まり、田村署の力に驚きつつ歓喜したのは言うまでもない。仏像や仏具、神具など盗品百二十点以上が公開された。しかし翌朝の新聞を見ると、「三春の仏像二十体と掛け軸一点(時価合計四八○万円相当)」とある。いったい時価とは何か、もしや犯人の想定した売値? どう考えても我々には思いつかない、闇売買を前提にした数字である。
福島民報 2025年1月26日