ひだち薬とお正月

  「ひだち薬」という言葉を聞いたことがあるだろうか。おそらく漢字で書けば「日経ち薬」なのだろうが、手許のPCで検索しても「日経新聞」がらみ、あるいは様々な薬が出てくるばかりで埒があかない。
 要は、悲痛な出来事の記憶はそう簡単には癒えず、日数がかかる、また逆に、どんな悲しい体験も、日数が経てば癒える、といった意味合いだが、最近はあまり言わないのだろうか。タイパを気にする現代人には、そんな悠長な経過など待ってられないのかもしれない。
 ご不幸のあとに、吾々僧侶は四十九日忌(大練忌)や百か日忌(百朝忌)を行なう(時に合修)。本来の意味はともかく、故人亡きあとの新しい生活の練習がだいたいできたというのが大練忌、昼間はそろそろ「もういない」ことを理解して暮らせるようになるが、夜眠るとどうしても永年馴れた感覚のほうが強くなり、なんとなく「いる」ような気がして、朝になってその不在をあらためて感じる。それが百日くらいは続くだろうというので「百朝忌」だと伝えている。
 一方で、「人の噂も七十五日」とも言う。四十九日と百か日のほぼ中間だが、これはいったい何の意味か……。
 一年三百六十五日を四で割ると、およそ九十一日。春夏秋冬がそれぞれ九十一日ずつと思いたい所だが、各季節の間には移行期としての「土用」が十六日ずつ挟まる。それゆえ、九十一マイナス十六で七十五日になる。つまり、どの日からでも七十五日後には移行期も含めて次の季節に入るから、冬と同じ噂話を春になってもしているなんて、おかしいんじゃないの、ということだ。
 確かに吾々は、季節と共に故人の末期を記憶している。一周忌や三回忌にあらためて故人の不在を感じるのもそのせいだろう。そして季節が変わり、その移ろいと共に日常の生活感を取り戻し、その螺旋のような変化のなかで「ひだち薬」が効いてくる。そうして着実に悲しみが薄れることが信じられるなら、逆に存分に悲しむこともできるだろう。皮膚の傷口と一緒で、応急処置だけで解決するのは無理だし、なにより瘡蓋こそ「ひだち薬」そのものではないか。
 ところで四季の移ろいだが、このところ二季じゃないか、という話も聞く。冬と夏、というわけだが、それでは商機が減るというので、服飾業界は五季説を唱えはじめた。春夏秋冬の他に「暑い秋」が増えたというのである。だから秋色の半袖シャツを売りだそうというのだが、この逞しさは学んでもいいように思える。
 もともと四季の区別は、平安時代の『古今和歌集』で確立されたという。それ以前は、農業の適期である「野の時」と、山に狩猟に入る「山の時」だった。同じ人が半年は農業に明け暮れ、半年は山に入って野生動物の肉を得たわけだが、ほどなくそれは専門に分化し、主に農業に頼る人々の間で、春夏秋冬が用いられるようになったのである。
 道元禅師は、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」と詠んだ。ここには確立されて程ない季節ごとの「ひだち薬」がふんだんに盛り込まれている。
 一九六八年、川端康成はノーベル文学賞の受賞記念講演「美しい日本の私」の冒頭でこの歌を朗吟したが、なにが美しいのかと考えると、結局「うつろい」と、それを見つめる人の心ではないだろうか。もっと言えば、それに連れて同化した心のうつろいも見つめられている。
 束の間の花々の開花と輝き、深い森とそこから夏だけ響くほととぎすの声、そして満ち欠けを繰り返す月の遍照……。傑作なのは冬の雪で、普通は嫌がる「冷たく寒い」雪を、禅師は「冴えて涼しい」と愛でているのだ。すべて無常ではかないと思えば、根雪になりかねない北陸の雪も、「仏の御いのち」の束の間の現れと見えるのだろうか。
 思えば「ひだち薬」は、日にちの経過、時のうつろいを感じてこそ効果を現す。つまり変化する自然に囲まれていることが「ひだち薬」が効く条件と言ってもいいだろう。うつろいの少ない都市部の建築や環境は、その意味では癒やされにくいと感じるが、どうなのだろう。 ところでこうした自然の「うつろい」を前提にしない「ひだち薬」が一つある。それが正月である。
 正月がなぜ愛でたいのか、というと、「おめでとうございます」と予め祝ってしまうからだ。これを「予祝」と言うが、春祭の豊作祝いと同じである。
 まだ何も愛でたいことは起こっていない。大晦日の状況から、たいした変化はないはずである。しかし年が明けるやまだ来ていない春が来たとばかり「頌春」「迎春」と書き連ね、口にもしているうちに、その気になるのである。「あれ? 愛でたいかも」「なんだか愛でたい」「いや、いよいよ愛でたい」と。
 このときばかりは一日で四十九日以上、いや七十五日や百か日ほどの効果が期待できる。心機一転、新年なのだし、去年の悲しみを引き摺ってどうするのか、と。そういうわけで、
「明けましておめでとうございます」。
 一夜明けただけで何も変化はないと思っていたかもしれないが、そろそろ準備に見合った愛でたい変化が起こるはずだからお楽しみに。 

「柴野」第68号