ニセアカシアの白い花が盛りである。日本で作られる蜂蜜の約半分はこの花の蜜というから、ミツバチたちも大喜びに違いない。
しかし近年、この木が増えすぎだという声も聞く。砂地や痩せ地にも平気で生え、和名「針(はり)槐(えんじゆ)」の名の如く、若木には鋭い棘もある。伐採する場面にもよく出遭うが、養蜂家たちの困惑の声もあるようだ。
私はこの木を見ると、なぜか免疫学者・安保徹先生のガンの話を憶いだす。吾々人類の細胞は真核細胞だが、それは嫌気性の原核細胞とミトコンドリアという別種の好気性細胞が合体した結果である。安保先生によれば、人体に酸素が足りていればあまり分裂しないミトコンドリアの性格が強く出るが、酸素が不足すると原核細胞に先祖返りし、本来の原核細胞のように無限に細胞分裂を繰り返すようになる。それがガン細胞だというのである。
つまり、ガン細胞の出現は悪化した環境への適応の結果なのだ。
同様に、ニセアカシアも悪化した環境にうまく適応した結果、あの木ばかりがこれほど増えているのではないだろうか。
温暖化に合わせて花期も早め、樹皮や葉には毒もあるから周囲に対しても強く、成長も早い。こうした適応力や強さもガン細胞そっくりで、嫌がられる所以(ゆえん)なのだろう。
しかし問題なのは環境の悪化のほうで、けっしてニセアカシアではないのだと承知すべきだろう。他の植物では生えにくい痩せ地や砂地でも根を張り、ラジエーターの如く地中の水分を循環させてくれる。痛めつけられた大地がこれ以上荒れないように、ひとり踏ん張ってくれている、そう見ることも可能ではないだろうか。
原産地の北米から日本に入ったのは明治六年頃。以後は街路樹、公園などに植えられるほか、砂防や土留め用の植栽、また線路の枕木にも使われた。丈夫な木で、ずいぶん助けられてきたのである。
昔、学生運動が盛んだった頃、西田佐知子さんが歌った「アカシアの雨がやむとき」が大ヒットした。雨に似合うこのアカシアは間違いなくニセアカシアで、本来のアカシア(ミモザ属=黄色い花)が入ってくると急に「ニセ」を付けて呼ばれるようになった。勝手に名づけておきながらダブるのはマズイと先着種を「ニセ(偽)」と呼ぶのは、どうなのだろう。人間界なら「仁義に悖(もと)る」気がするのだが、これは今更言っても始まるまい。
試みに花言葉を見てみると、「慕情」「親睦」「友情」「頼られる人」と良いことずくめ。昔はやはり感謝していたのだろう。最後に「甘い誘惑」とあるのは蜜蜂を誘う甘い香りに由来するのだろうが、今後吾々はあらためてニセアカシアと「親睦」や「友情」を結び、頼りにする関係に戻れるだろうか。今後の治山の在り方が問われている。
福島民報 2026年5月31日