禅が日本に将来したものの一つに山水図がある。どなたも何度かはご覧になっているだろう。山や岩や木々、水流などが大きく描かれ、人間は豆粒のように小さいあの水墨画である。当初の作者は明兆、如拙、周文など、いずれも画僧と呼ばれる禅僧だった。
現代人がみれば、いったいこれは何を描いていえうのかと、不思議に思うかもしれない。しかし当時とすれば大まじめで、人は住む環境に大きく左右され、良い場所に住めば良い人になれると信じ、ある種の理想郷を描いたのである。日本文化を深く研究したフランスの地理学者オギュスタン・ベルク氏は、山水図は「汝いかにおはすや」への返事、つまり「吾れかくの如くあり」というメッセージだと語っている。
中国の神仙思想などによれば、天からの「気」はまず山に降りる。山の「気」は水と共に流れ下り、平地まで潤す。この際、通気・通水が最も大切で、「気」が集まる場所を「龍穴」と呼び、人は好んでその近くに住もうとした。「気」の澱む場所には漢方でいう鍼を刺す要領で建物を建て、「気」を噴き出させる。そうして人が集まり、町が作られていったのである。
「君子は南面す」は初め墓地の基準だったが、やがて一般の住宅にも及び、特に臨済宗では足利学校などで「風水」を学ぶ僧が多く、彼らの指南で戦国大名たちの城づくりや寺院建築にも応用された。
もともと風水は奈良や京の都の造営の指針でもあったが、やがて山水思想を背景に人の住む環境のエッセンスになっていったのである。
吾が三春町の郊外に、画僧雪村が晩年を過ごした庵があるのだが、北に山を背負い、東西にも翼のように山が続き、西のほうがやや高い、南方、東から西にうねうねと水が流れ、南へ大きく開けた空には月の出から月の入りまで全てが見渡せる。庵の前には風水を補う池が作られ、背後には竹林がある。まさに風水上、理想の場所なのである。
人はこうして山を仰ぎ、通気・通水の良い環境を求めたが、江戸時代になると些か危機的な状況を迎える。それは当時の人々の暮らしを支えるエネルギーが、ほぼ「薪炭」だけだったからである。住宅も全て木造、炊事も暖房も木材なくしては考えられなかった。それゆえ、各藩には「土砂留方」や「土砂留奉行」が置かれた。木の伐採の行き過ぎが土砂崩れを招くため、いわば「治山」を専門にし、定期的に視察していたのである。
明治になると石油の登場で山林の伐採は激減する。これで国内の山水は命脈を保ったわけだが、この際、日本で最初に石油井掘削を行なったのが長野県の善光寺であったことは画期的である。結局は石坂周造氏が設立した長野石炭油会社が原油の採掘と精製を行なったのだが、善光寺の後ろ盾は大きく、精製所も長野市西光寺境内にあった。
そして現在の山林は、というと、二〇一一年の原発事故以降、とにかく再生可能エネルギーを増やそうと、各地にソーラーパネルや風車が林立しはじめた。いや、はじめたどころか今やこの国のパネルの総面積は三~四万ヘクタール。東京ドーム八五〇〇個分、国土に占める割合はもはや世界一である。森林伐採の面積は当然それを超えている。第二次世界大戦では、空爆などでほぼ岩手県一個分の山林が失われたというが、それは戦後の植林で補われた。パネルの場合はそれに近い面積が伐採されたまま、今も減り続けているのである。
吾が福島県は原発事故の反動もあり、特に開発が激しく、吾妻山周辺などでは「風景が変わる」と反対運動も盛んである。
そうこうするうちに、クマの登場である。メガソーラーによる山林の侵蝕、また尾根筋もかまわず道路を造る土木工事のやり方が、クマを奥山から町へ追い込んだ側面がありはしないだろうか。
特にクマは尾根筋を歩く。尾根筋には彼らのエサを提供する広葉樹も多い。広葉樹は貯水力も抜群なので豊かな山水の条件と言っていい。江戸時代の「土砂留方」も尾根筋の伐採は厳禁していたほどである。
ところでお寺には必ず山号がある。また初代の住職を「開山」さまとお呼びする。いずれも禅宗が始めた習慣である。都市部では「山」のイメージが実感されにくいかもしれないが、本来は明らかに「元気」や「風」や「水」の源という意識がありはしなかっただろうか。
実際うちのお寺は三方を山に囲まれ、水道布設以前は多くの家に井戸水を提供した。近年恐れるのはクマよりも大雨被害、土砂崩れだ。
とにかく墓地の通気・通水をよくしたい。どんな大雨でも沁み込む大地を取り戻したい。思案の結果、まず墓地の全面石張りを禁止した。そしてU字溝の底を壊し、石垣の下を掘って水を逃がし、各墓地にも草を生やしていただくことにした。草を生やしては高刈りを繰り返し、やがて苔で覆われることを期待したのである。
もう十年以上続けているが、定期的に草毟りに来ていた檀家さんも初めは訝しんだがじつは負担にも感じていたらしく、今は苔の生え始めた墓地を喜んでいる。以前は骨壺に水が溜まることもあったが、今は通水が改良し、そういったことはなくなった。
そうなると怖いのは、やはりクマか……。今日も一頭、町はずれを通過したらしい。山とクマの問題は、一つである。そして問題の本質は、クマではなく山なのではないか……。
「紫野」第69号 2026年7月