遠い約束

 子供の頃、友達と十日後の約束をしたことがある。不安はありながらもその日まで連絡はせず、当日約束の場所に行ってみたが友達はいなかった。一時間近く待ったが来ないので、自宅に行ってみると家族で夕食を摂っていた。約束は忘れられていたのである。
 そんな思い出のせいか、私は遠い約束は簡単には信じられなくなった。俄かの状況変化だってあるだろうし、悪意があるとは限らない。しかし結果として、約束が忘れられることは珍しくないのだ。
 いま最も不安な遠い約束は、「中間貯蔵施設の汚染土壌を二〇四五年三月までに県外で最終処分する」というものだろう。このことは二〇一四年十一月に法律で定められた。法律になった以上、それは子供の頃の指切りげんまん以上のはずだが、どうも不安が消えないのだ。
 確かに今年、首相官邸の庭や仙台の公園に、わずかな低線量汚染土が埋められた。しかし全体で東京ドーム十一杯分あるのだから、雀の涙ほどと言っていいだろう。
 もとより私は、県内で出た汚染土をどこか県外に運びだす、という考えに馴染めない。実際、福島県以外の被災県では皆地元での処理を決定している。規模が違うとはいえ、当地も利益は享受した以上、後処理も引き受けるのが普通だと考えるからである。
 法律制定前に佐藤雄平知事にシンポジウムで質問したことがある。「三十年後、知事さんが知事を続けている可能性は低いし、もしかしたらこの世にいないかもしれないのに、そんな先の約束をしていいんですか? 政治はそういう約束を必ず継承できるのですか?」。遠慮のない質問だったが、知事は一瞬黙ったあと答えた。「私は、政治を信じるしかないでしょう」 
 そのときは言葉に圧される気もしたが、あとになれば、首都機能移転なども法律で決められながら完全に立ち消え、今や副首都の議論である。決定しても実施されない法律はじつに沢山あり、まとめて供養する必要があるのではないか。
 ともあれ、この約束、私の本意に反するが、約束した以上はやはり守られるべきだろう。守るためには確認する必要がある。子供の頃の約束も、何度か確認すべきだったのだ。
 あらためて「中間貯蔵・環境安全事業株式会社法」を読むと、まず守られなかった場合の責任の取り方が分からない。責任の所在もはっきりしない。この際は、国と県、そして大熊町と双葉町のそれぞれの代表者が「協定書」を交わしては如何だろうか。それぞれが順次必要不可欠な措置を講じていくという内容である。そして出来なかった場合の罰規定もほしい。「針千本」では誰も本気にしないから、遅延一日につき〇十万円、国が県に支払う。そのくらいしないといつまで経ってもこの約束が果たされるとは思えない。

「福島民報」 2026年10月18日