5月11日

 ゴールデンウイーク明けのコロナ感染者の増加傾向には歯止めがかからないことに一日も早い終息を願うばかりです。かくゆう私もゴールデンウイークを利用して京都の天龍寺に行って来ました。一昨年は観光客もほとんど見当たらず閑散とした天龍寺でした。外国からの観光客も多く歩くさえ不自由に感じてましたがその景観には逆に淋しさを感じた程でした。打って変わって今年は今までのゴールデンウイークには比べられない程の人出でした。上空ではヘリコプターが周辺の込み具合をテレビがレポートしておりました。シャッターが降りたままの店舗もどのお店も行列が出来ておりました。今まで家で籠った状態が長く続いたので、外での解放感を満喫しているようでした。
 私はお忙しい中で申し訳なかったのですが、寿寧院さんにお会いしいろいろとお話をさせていただきパワーをいただいて来ました。感謝!感謝!です。
 HPをたどる旅を続けます。
 公演会は大盛況の内に終わり、本を購入されサインを求める列が長く続き予定を過ぎても終わることはありませんでした。注文した本では間に合わず、予約にて受けることにいたしました。そういえば当日の朝文藝春秋の営業部長増田さんに、「今日はがんばってやります」と電話ではお話したのですが、「私はそちらに伺うことは出来ないけど、がんばって」とお返事をいただきました。その部長が雨の中公演会のちょっと前に会場にいらしてくださいました。あまりの盛況さにかなり驚かれ、本が飛ぶように売れていくのにもまさに予想外の出来事だと話されてました。追加発注も快諾していただきました。この公演会はいろいろな方の応援があって成功したもので感謝してもしきれない程です。部長は、「本当に会が成功して良かった」と一言残されて帰京されました。
 公演会後には打ち上げがあったのですが、これも盛り上がりました。成功の喜びからか皆笑顔で談笑してましたっけ。
 ところで事前にお膳の予約をしていたのですが、参加者が急に増えて私の分のお膳が無くなってしまったのです。それを見た玄侑さんは私に「どうして食べないの」と聞くので「公演会の緊張で胃がちょっと痛いので」と答えると「公演する方はそうなるけど、あなたがそうなるのは可笑しいなぁ(笑)」とにかく玄侑さんという方はそういう面ももっていらっしゃるんです。


5月2日

 講演会のことが続いてまして申し訳ございません。もう暫くお付き合いください。
 当日のことですが、本部からと各店店長そして日販の担当者の方が応援に駆けつけてくださいました。女性店長は、芥川賞作家の方のサインのお手伝いなど一生に一度あるかなかのことなのでと洋服を新調されたそうです。
 朝から会場の設営に社長を初め30名位であたりました。部長は椅子を並べながらももしそんなに人が集まらなかったらどうしようか、円形テーブルにしてお話を聞くという形態に変更しようと何度も繰り返し話していました。
 開場の時間になると人はどんどん集まり会場には収まりきらず立ち見の方まで出るという大盛況でした。当時の市長にも祝辞をいただき無事に会が始まりました。玄侑さんは、開口一番「ガンバの公演会」にいらした方、間違ってここにいらしてませんか?で会場は笑いとともに和やかな雰囲気に包まれました。


4月27日

講演会を開催するにあたり最初に会場をおさえなければなりませんでした。当時は立地条件、そして収容が充分に確保される場所として市民会館が一番ではないかと思いました。千人単位ではキャパが大きすぎると判断いたしまして会議場ともなるホールを予約しました。ポスターを作成し近隣の大学や父が勤めておりました市役所の知人に声をかけ会場を満席にするようにと宣伝活動をいたしました。もちろん地方のラジオ局、そして地方紙にもイベントの紹介をお願いいたしました。そういえば会場に看板を掲げなければいけないだろうと看板屋さんにもかなり大がかりな看板をホールに掲げてもらいました。
 当日のスケジュールなど細部にわたって抜けがあってはならないと綿密な計画を立てて行きました。当日サイン本を販売しようということになったのですが、出版社である文藝春秋の営業は作家の講演会ではそうそう本は売れるものではなくキャパの20%が相場だと話されていました。200名のキャパだと50冊で充分ではないかとアドバスをいただきましたが
強気に200をお願いしました。これはちょっと無理な数だというのも福島出身の作家の処女作いうことも会社全体で盛り上げて行こうということになった次第です。こんな裏話があったということを玄侑さんはつゆほども思わなかったでしょうね。着々と準備をするうちにあっと言う間に講演会当日となりました。


4月19日

 「中陰の花」が芥川賞候補作になったと連絡が最初に入ったのは専務からでした。その後に文藝春秋社のFAXにての「お知らせ」でした。正直続けて候補作になるとは思っておりませんでしたので、へぇ~ちょっと驚きましたね。その時はあまり期待することもなく発表になるまでを淡々と通常の業務をこなしておりました。
 発表の当日、専務より電話があり、「玄侑さんが受賞したから明日早速ご挨拶に伺いなさい」それが会社からの命令でした。翌朝、開店準備が終了したら直ぐに、知り合いの花屋さんから胡蝶蘭の鉢植えを持参してお寺に伺いました。
 お祝いの言葉を申し上げた後に、受賞後の最初の講演会をうちの会社主催で行なわせていただきたいと申し上げました。すんなり承諾していただいたことを記憶しております。恐らく一番最初にそのような申し出をしたのがうちだったから受けていただけたのだと思います。
 書店としてはイベントを多くしている方でしたので、開催するにあたってはさしたる問題はなかったのですが、ただ取次の担当者によると、今まで開催したイベントで成功したものはなかったということです。はたして今回の講演会はうまく終えることができるかどうか、、、。失敗で終わる訳には行きません。その日から私は東奔西走の日々を過ごすことになったのです。


4月13日

「水の舳先」が第124回芥川賞候補作になったので単行本化されたのだと思いますが、出足はなかなあ好調でした。当書店でも何か地元ならではの特典をと考え著書にサインをお願いすることにいたしました。恐らく著書にサインを入れるというのも最初のことかもしれませんが、それはもうお寺中で大変な騒ぎだったと伺いました。
サイン本を受け取る際に、もし今度芥川賞を受賞した折には、うちのお店で講演会をお願いしますと口約束でしたが、お願いはしました。
芥川賞受賞をされた作家さんで世の中で名前を覚えてもらえる方ってどの位いらっしゃるのでしょうか。次回作に悩む方も多いと伺います。
私は書店という場所に勤務をいたしておりましたから、出版に関する情報はかなり得やすい状況にありました。出版部に方とお知り合いの方はいませんが、営業部の方々とはよい関係を保つことが出来ました。本社でも出版社との関係をそれはもう大切にしておりました。そんなことから情報を得ることは簡単でした。 
刷り部数は編集部より玄侑さんに伝わるとは思いますが、販売部数とかランキングは私の方が詳しかったと思います。そういう環境にあったからこそ、玄侑さんのお役に立ちたいと思ったのかもしれません。昔は書店が作家さんを育てていくものという意識が書店員には強くあったように思います。


4月6日

このホームページを立ち上げてから、もう21年が経ちました。あぁ、私もそれだけ歳を重ねてきたんですね。
どうして私がホームページをすることになったか、それは偶々のことでした。それは「水の舳先」が芥川賞候補作に選ばれる以前からはじめなければなりません。
私が書店勤務をしていた折に、朝一番に男性のお客様が「今朝ラジオで小説のことを話していたんだけどその本が欲しいんだ。注文してもらえないかなぁ」とおっしゃりました。うろ覚えの中の題名ではいくら検索してもその小説はヒットしませんでした。出版されたものの検索は可能ですがまだ発売されていないものはどんなにがんばっても結果は表示されません。その男性には一旦お帰りいただき分かり次第連絡をするということになりました。ラジオで話していたこと、福島の船引あたりに住んでいる作家さんだということ、その2点しかヒントはありませんでした。まずは船引の役場に問い合わせで聞いてみるしかないと思い電話をしました。対応してくださった役場の方によるとうちではなく三春にお住まいだと思うので三春の商工会議所なら詳しいことを知っているはずではと教えてくださいました。三春の商工会議所に問い合わせると、その方は福聚寺の和尚さんではとないかということになり電話番号を教えてくださいました。早速お寺に電話をすると偶々電話に出てくださったのが、その玄侑宗久さんだったのです。小説は、雑誌に掲載されたものでまだ書籍にはなっていないが、直に新潮社から出版する予定であることを教えていただきました。
お客様に小説のことを説明すると、是非読みたいので予約をしたいとの申し出があり、出版社に地元なので是非配本をして欲しいとお願いしました。これがすべての始まりです。その時は様々な佳きご縁の中でことが進み出しました。