えりすぐりに言葉を

新たな距離感をつかんで

 防疫は、差別を含んだ振る舞いだと思う。放射線は目に見えなくても測定できるが、ウイルスの有無は、すぐには分からない。だから、皆に対し、あるものだと思って接しなといけない。差別との線引きは難しい。
 原発事故後の福島県民、ハンセン病や水俣病の患者への差別は何も生み出さす、人の酷薄さが透けて見えただけだった。今回は属性に関係なく全員が差別さr得る事態となっている。
 「自粛警察」や医療従事者への差別など極端な言動も一部で見られた。自分が思う「正義」を盾に以前からたまっていた日頃の鬱憤を晴らしているのではないか。
 そうした人たちは、いずれ元の暮らしに戻れると思っているのだろう。「期間限定だから、全員自粛しなければ」と張り切り過ぎているのかもしれない。
 ただ、我慢ばかりの生活は長続きしない。人は、やはり生身の接触を本能的に求めている。今は人との距離をかなり取るようになっているが、今後、じりじりと近づき「これくらいなら大丈夫」と新たな距離感をつかめるようになってほしい。
 マスク越しのコミュニケーションは、表情が半分見えなくなる。言葉にしなくても「分かってくれているな」と通じ合うことは減る。えりすぐりの、洗練された言葉を使わなければ、人間関係は長続きしないだろう。
 

共同通信より各紙配信 2020年7月~