大地震も大津波も原発の破局的事故もまったく登場しない「3.11以後の文学」があってもよい。むしろそうあるべきだろう。アジア太平洋戦争にもなぞらえられる巨大な出来事は、当事者と非当事者の区別を消し去る。さらに、目に見えぬ放射能がかかわり、政治、経済、社会の機能不全が広範にうかびあがるのだから。実際、あらゆるジャンルで「3.11以後の文学」は出現している。
 しかし、福島の三春町に生まれ、今も同町で臨済宗福聚寺の住職を務める玄侑宗久には、大地震と大津波はまぎれもない現実だった。そして現実の人間関係を激しくゆさぶる怪物として、見えないはずの放射線がはっきりと見えていた。三十年後には山の様相で清らかかつ毒々しい瑠璃色に変じて光る、このうえもなく具体的なイメージとして。
 わたしは戦争文学を考える際、「戦闘」「戦場」「戦争」の順でそのひろがりをとらえることにしているが、「3.11以後」は、玄侑宗久にとってまさしく「戦闘」だった。問題は、この戦闘の圧倒的な非対称性である。東電や政府や学界の意図的に思える対応の遅さとも相俟って、人々が体験したのは一方的な「被災」であり「被曝」であった。そうであればこそ、人々はもっているすべてを手に、あらがわないわけにはいかなかった。
 ここに収められた六つの短編は、現地で大地震と津波と放射能にむきあい、「祈り」と「言葉」をもって闘いつづけた僧侶作家の、ほぼ二年の記録である。
 森進一の「港町ブルース」の舞台が大津波で一変し、瓦礫だらけとなった現実をつきつける「あなたの影をひきずりながら」。死んだ人や壊れたものを四方八方に感じて拝む「くるくる和尚」を書いた「蟋蟀」。夫の遺体を捜すため息子のDNA鑑定につきそう妻の心の揺れをえがく「小太郎の義憤」。北海道に避難した妻と子と福島に残る夫との離婚劇「アメンボ」。仮設で行われた初めての結婚式をとられた「拝み虫」。そして、自分の土地に周囲の「ホーシャノー」をすすんでうけいれた男の至福の生涯と、不気味に光る山とをかさねたアイロニカルな近未来小説「光の山」。
 物語中、福島にとどまる主人公たちは、避難する者に冷たく、「安心と安全」情報には概ね楽観的である。そんな傾きに反発を覚える読者も、きっといるだろう。しかしその傾きによりかえって、福島で起きている事態が対立をも含み、瑠璃色の両義的な光をあびることになった。現時点で、「3.11以後の文学」の核になりうる短篇集といってよい。
 
 
 
     
  「すばる」2013年7月号