書評

『アミターバ』 〜死者の目で描く往生伝〜            




川村 湊

 世の中には宗教小説というものがある。「アミターバ」もある意味では宗教小説であり、仏教小説であるだろう。現役僧侶の作家が書き、その題名「アミターバ」は無量光明の意味であり、阿弥陀如来の名前そのものである。だが、これは仏教という宗教へと人を誘ってゆくものではない。ここで描かれているのは、仏教的な臨終観、そして極楽浄土への往生の有様(ありよう)に近いものだが、そうした「往生」の方法を教導するものではないからだ。
 古来、往生伝、往生集が日本ではよく書かれた。この書もそうした往生伝の一種と考えてよいかもしれない。八十歳になろうとする老女(お母さん=私)が末期ガンで入院している。娘の小夜子、娘婿の慈雲がその老女の看護、介護をしている。老女の意識は混濁して、過去や現在を行き来する。往時の戦争に出征して戦死した前の夫の文幸。その前夫の一人息子で幼時に手放した哲、再婚同士の「お父さん」、その間にできた小夜子と前妻の子である富雄。こうした死者や生者に取り囲まれて、老女は臨終を迎えるのである。
 一人の人間の臨終、葬儀の様子が、その死者の側の視点から描かれる。これはちょっと珍しい試みといえるだろう。SFかコミックになってしまいそうな、そんな死者の視点を、しかし作者はきわめて真面目に描いている。むろん、微(かす)かなユーモア精神も忘れずに。
 ここでは、「死」とは「たましい」が身体を離れることであり、それは光明に包まれるということだと、力強く言い切られている。仏教の本質的な考えは、死を恐怖し、その恐怖を克服することではなく、死を光明として、浄土への往生として積極的≠ノ受け入れることだ(もちろん、これは自死などを意味しはしない)。八十年という一人の老女の生涯を回顧しながら、よく生きたものこそ、よく死ぬものであることを示している。これがまさに宗教小説であり、仏教小説であるゆえんなのである。


北海道新聞 2003年6月8日