芥川賞逃した玄侑さん      
坊さんが、坊さんとして書いていきたい       
 ― 二十一世紀の宗教をテーマに ―  
           

 新人作家の登竜門、芥川賞の選考会が十六日、東京であり、候補に選ばれていた田村郡三春町御免町、福聚寺副住職玄侑宗久(四十四)さんは、惜しくも受賞を逃した。候補作「水の舳先」は、人間の死を前に仏教とキリスト教の考えが交錯する、深遠な世界を描く。賞は逃したが、玄侑さんは、二十一世紀、宗教は何が出来るのかをテーマに、「これからも、坊さんが、坊さんとして書いていきたい」と語った。
 玄侑さんはこの日夕、郡山市熱海町にある磐梯熱海温泉で連絡を待っていた。会見で約三十人の報道陣に囲まれた玄侑さんは、午後八時すぎから会見し、一瞬戸惑いながらも「候補になっただけで、うれしかった」と語りだした。
 玄侑さんの作品には水のイメージが漂う。
 「水の舳先」は「ガンに効く」とうわさされる浴場と宿泊施設が舞台だ。死を前にしたキリスト教の女性信者が、主人公の僧侶に、お湯で体を清めて欲しいと懇願する。キリスト教の洗礼を連想させる行為だ。僧侶が心を込めて体をふく場面は作品のクライマックスとなっている。
 月刊文芸誌「新潮」1月号には第二作「宴」が掲載されている。ここでは深夜、桜の花弁を打つ雨が物語の重要な背景を形作っている。
 大学を卒業した後、出家するまで様々な仕事を経験してきた。僧侶となってからは多くの檀家と語り合ってきた。清らかな水は、死を見つめ続けてきた玄侑さんがつかんだ、人生の一つのイメージなのかもしれない。
 会見で玄侑さんは「一隅を照らす。そういう中から、静かに、ゆったりと呼吸をしながら書いていきたい。頑張る、という言葉は我を張るという意味で、好きではないが、ほかにいい言葉がないので使うけれども、頑張りたい」と淡々と言葉を選びながら心境を語った。

朝日新聞   2001年 1月18日




向かい合った人に共振していく         
 ―第125回芥川賞に決まった臨済宗僧侶―  
      

 二回目の候補での受賞の報は、福島県郡山市内で友人と「二匹目のドジョウを囲む会」を開いて待ったという。
 「二匹目のドジョウが笑ったということで、とてもうれしい」
 読経で鍛えた太い声で喜びを語った。
 受賞作「中陰の花」は、成仏ということを考え始めた僧侶を中心に、光を見る体験、虫の知らせなど、普通の生活の中で無視できない不思議な感覚を丹念に拾って、小説世界を構成した。題名の「中陰」は「中有」とも言い、亡くなってから四十九日、成仏までのこの世とあの世の中間の状態を指す。
 選考委員の河野多恵子氏は「臨終や成仏について文学作品でなければできない深い表現をした」とたたえた。
 福島県三春町御免町の禅寺で生まれた。小説は二十代のころ書いていたが出家のため中断、一昨年から再開した。受賞作は雑誌発表三作目。霊験あらたかな温泉、骨を食べる供養、今回の不思議な感覚と「僧侶にあるまじき」題材を扱ってきた。
 「枠組みに関係なく、現場では向かい合った人に共振していくことが大事です。キリスト教も神道も知っていた方がいい」。そんな日常の姿勢が文学に反映している。
 受賞作で主人公の妻は包装紙の紙縒を何百本も作って大きなネットを編む。作中の重要な装置なのだが、その編み方が非常にリアルに描かれる。
「女房が繊維造形家なので参考にしました」と少し照れた。

毎日新聞   2001年 7月18日