通常、記憶というのはコンピュータのメモリーのように、脳のどこかに固定的に貯蔵されているものと思いがちである。しかしどうもそうではなく、憶いだす瞬間に再構築されているらしい。
 そのことは、ノーベル賞を受賞した神経学者ジェラルド・エデルマンも云っているが、じつは仏典にも同じような記述がある。そこでは、記憶のもとになる材料が材木に喩えられ、記憶とは、その材料を使って作られた家に喩えられる。つまり、どのような家を作るかは、その瞬間の気分に左右されるということだ。
 このことは、普通の感覚だと記憶の変質と映る。それをテーマに書いた小説が『御開帳綺譚』(文春文庫、二〇〇五年)である。面白いことに、記憶力がいいという人ほど記憶は変質しやすいらしい。なぜかというと、記憶力がいいというのは、要するに何度も憶いだし、それを再構築する機会が多いことを意味するからだ。機会が多ければそれだけ違った気分で違った再構築がなされ変質もしやすいということだろう。
 仏教における供養とは、そうした記憶の変質を積極的に促す行為ではないかと思う。
 なにも最初の記憶が正しいとは限らない。いや、正しい記憶など初めからあり得ず、人はその時の気分に合った材木をそのつど拾い集めてその時なりの家を建てる。悲しい記憶とは違う、今の安らかな気分に見合った新しい家を建てることが、いつでも可能なのである。
 ところで先に挙げたジェラルド・エデルマンは、「たった一つの意識が成り立つために、異なる結論をもたらす可能性をもつ他の何十億の意識が排除されている」とも云う。
 意識という言葉を定義するのは難しいが、ここでは感覚が捉えた全ての領域に亘るものとして、広く考えてみよう。
 すると、まず感覚が捉えた無数の意識のなかから一瞬にして主な意識が選ばれ、それが記憶の材料としての材木になる。そして人はその中から、その時の気分に見合った材木だけを選びだして記憶という家を作ることになる。そう考えると、記憶とは、いかに主観的な捏造であるかが判るだろう。もっと云えば、人はその記憶の集合体を「わたし」だと思いこんでしまうから、いわゆる「わたし」というのも捏造されたものにすぎない。

 
 仏教において、記憶は人間の五つの機能「五蘊(色・受・想・行・識)」の最後の「識」に包含される。「五蘊(ごうん)」とは、いずれも「わたし」自身と勘違いしかねない五つのはたらきだが、色(しき)は体、受は外界と感覚器との接触による「感受」、想はそこから選択的に立ち上がる知覚、行(ぎょう)はそれによって芽生える意志、そして最後の識が認識や記憶である。
 『般若心経』によれば、このいずれもが「空(くう)」であるとされる。
 つまり、我々が普段実在だと信じているこの体も感覚も知覚も意志も、むろん認識や記憶も、さまざまな関係性のなかで瞬間的に立ち現れている(構築されている)にすぎず、そこには我々の信じるような恒久的な実在はないというのだ。
 当然、計測された数字など過去の一時的な状況しか示さないし、感覚でさえ表現されたものは今はなき形骸にすぎない。いずれも計測する器械の性能や感受する主体の気分や性癖に大きく左右される。
 人間だけに限っても、記憶以前の意志や感覚からすでに「わたし」に都合よく構築されると仏教は受けとめる。だから感覚も信じるに足りず、命の実相はあくまでも感覚では捉えられない「空」だとするのである。
 「空」とは、簡単に云えば関係性のなかにおける無常なる実相の在り方だが、要するに仏教は、命の在り方をそのように捉えたということだろう。当然それは感覚でも「ありのまま」に捉えることはできず、認識することも言葉で表現することもできないとされる。経典では端的に「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と表される。
 お釈迦さまは、そうした五蘊に依らない命の実相を感じる手段として、ひたすら瞑想を弟子たちに勧めた。瞑想とは何かと、五蘊との関係で考えると、次のようなことになるだろう。
 つまり記憶も認識も捏造であり、さらには意志や感覚にまで「わたし」が関与しているから、それは命そのものではない。しかしこの体が生きていることは確かだから、「わたし」抜きの命に触れたい。「空」なる実相として生きたい。そこに至る方法こそが瞑想ではなかっただろうか。
 「わたし」はあくまでも「わたし」本位。あらゆる現象を「わたし」に都合のいいように感受し、知覚し、認識して記憶する。それだけならまだしも、その記憶がさらに「わたし」を補強して、結果としては命そのものの可能性を制限するようにはたらくことが問題なのだ。


 命そのもの、あるいは「生きる」ということの可能性を制限する記憶というものについては、武道を考えるのが解りやすいかもしれない。剣道を少しばかりしていただけでこんなことを云うのは口幅ったいが、それでも日常の生活より武道の立ち会いを想うほうが、よほど制限としての記憶が感じやすいと思う。
 まず向き合った相手がどう動くのか、それは「生きる」ことそのもののように、予測がつかない。
 現代の人々は、そんなとき過去の経験からいくつかのパターンを導き、自分がどう動くのか決めてかかろうとするかもしれない。生を情報化することに慣れすぎた我々の、これは抜きがたい悪癖だろう。むろん情報の背後には記憶によって縁取られた認識がある。いずれも死骸を弄ぶようなもので、情報そのものが死んでいるわけだから生きた実相には近づきようがない。相手のいる武道ではそういった思考そのものが命取りになる。考えているあいだ人は「いま」に居ないから、そんなことをすればすぐさま生きた相手に斬られてしまうだろう。相手の動きへの対応を遅らせるものこそ、現実とズレのあるそのような予断なのである。
 それなら感覚を研ぎ澄まそう、といった表現がなされたりもする。しかしそれもじつは違う。感覚を研ぎ澄ますとは、少なくとも感覚する対象が限定されることで成立する状況だと思えるが、対象化された運動はすでに運動そのものではない。それは相手の動きを見ているようでいながら、じつは意識の表象するある種の型に、相手の動きという現実を無理に押し込めようとしているのである。
 今、流動しつつある現実は、だから「ただ感じる」べきなのであり、何らかのまとまった知覚や認識になった途端、それは現実そのものではなくなる。そして動きやまない現実は、その隙に斬りかかってくるのである。
 本当は、この体という自然がもつ可能性は、構造という限界の範囲を超えない限りにおいてではあるが、無限と云ってもいい。しかし人は、その構造上の限界などよりも遙かに手前で、「わたし」の感覚や認識、さらにはその基底にある記憶によって能力を抑制されてしまう。
 仏教とりわけ禅が目指す「自由」とは、そのように抑制的にはたらく「わたし」の感覚や認識から自由になること。換言すれば、捏造された記憶という基盤を溶解させて無限定の「いま」に舞い戻ることなのである。


 私は今、生きるということの切実さを感じていただくために、敢えて勝負の場面に喩えた。しかしこれを、日常の暮らしのなかで行おうとするのが禅だ。
 本当に見るということは、禅においては一切の記憶から離れ、予断をもたずに見ることだし、本当に聞くためにも、あらゆる概念を離れなくてはならない。
 「説似一物即不中(せつじついちもつそくふちゅう)」という禅の言葉があるが、これも「こんなものだよと表現した途端に、それは現実とは違う」ということだ。「こんなもの」と表現することじたい過去に現在を引き寄せることであり、それは「いま」を貶(おとし)めることだと禅は考えるのである。
 「いま」は常に「未知」であり、「わかった」のは過去にすぎない。 よく禅僧の悟りが、「竹に石がぶつかる音を聞いて」とか、「桃の花を見て」などの契機によって語られている。あの一休さんも「カラスの泣き声を聞いて悟った」と云われる。それもつまり、その体験以前には、本当には見ていなかった、本当には聞いていなかった、ということだ。通常は竹に石とかカラスと聞いただけでどんな音かを予め想定しており、体験はその予断をなぞっただけになることが多い。しかし彼らは、未知なる「いま」を、その時初めて体験したのである。


 さてそのように、記憶という捏造された制約を離れ、「いま」に居る状態で、本当に見て本当に聞きながら、流動する現実に向き合っているとしよう。解りやすくするため、また剣を持って相手に向き合っている場面で考えてみる。
 その場合、我々の体は相手の動きに応じて自然に振る舞うことになるわけだが、体が自然に振る舞うというのも、じつは体の記憶に従っているのではないだろうか。
 人間として生まれただけで、その構造が内在させてしまう能力がある。それを素直に発現させるために、武道や禅は「無になれ」と云う。無になるとは、おそらく捏造された記憶や認識を排除することだが、じつはそうして無になった状態で顕れてくる能力も、もともと体が「内在」という形で記憶していたものなのである。
 命そのものの記憶が、素直に顕れただけで人は「神通力」とか「奇跡」などと呼ぶ。しかし命のもつ能力を、経験知という記憶の範囲内で「わかる」と思い込んでいたのがどだい間違いだったのだ。「神通力」も「奇跡」も、本当は誰にでも内在している能力の開花なのである。
 命の記憶とは、むろん繰り返し稽古することで覚え込んだ型ではない。後天的に学んだものである限り、それは体の記憶であっても制約には違いないからだ。本当に真剣に敵に向き合えば、いかなる型も本来体という自然のもつ能力を妨げてしまうことを感じるだろう。
 幼児の動きにはまだ型がない。だから駄々をこねて手足をばたつかせる幼児を抑えるのは意外に難しい。また酔っぱらいなどもいわゆる大人の人間としての動きの型から外れるから、取り押さえるのが大変だ。薩摩の示現流などは、だから幼児や酔っぱらいの動きを真似ることから創案されたとも云われるのである。
 そうした自然で型に捕らわれない在り方を、禅や武道は素面(しらふ)で追究する。我々の思う「生きる」とは、だから命の記憶だけを頼りに、それを十全に発現させることなのだ。
 最近はそれを遺伝子という視点から見詰める人々もいる。しかし、遺伝子も固定的な情報の集合体と考えるかぎり、「生きる」ことに何の示唆も与えはしないだろう。「生きる」とは、なにより情報化されない生の在り方なのだ。
 よく相撲取りが勝負のあとのインタビューで、「どう動いたか覚えていない」と云うのを耳にするが、それこそが本当に生きている姿と云えるだろう。どんな分析でも「生きる」ことの全体を伝えることはできないし、「わたし」の分かる範囲で遺伝子を動かしているわけではないのである。


 後天的な学習や知識は、それなら何の役にも立たないのかと、訝(いぶか)る向きもあろうかと思う。はっきり申し上げて、禅は基本的にそう考えていると申し上げておこう。問題なのは人として生まれた可能性を充全に「生ききる」ことであり、そのために邪魔になるあらゆる記憶は無化したほうがいい。捏造された記憶を洗い流し、その底にある命そのものの記憶を引き出すのである。
 しかし人はまた、そのことに気づき、実践するためにどれほどの時間と学習を必要としたことだろう。なんという矛盾、と思われるかもしれない。しかし自然界で初めて矛盾を感じたのが人間である以上、それは仕方のないことだ。
 矛盾とは、自然を合理的に解釈しようとした人間だけが抱いた感想である。もとより合理性じたいが「わたし」の都合で世界を切り取る方法だったのだから、自然に通用するはずもない。だから自然を精密に描写しようと思えば、矛盾した表現になるのは当然なのである。
 矛盾を矛盾のままに表現することこそ、合理性の檻に閉じこめられそうになった自然を、再び解き放つための創造的な工夫だったと云えるだろう。
 矛盾を承知で申し上げるなら、命の記憶のままに生きることは、「伸びやかである」ということだが、それは決して目指してはいけないことだ。なぜなら、伸びやかであろうとすることはすでに伸びやかではないからだ。結果としては賞讃されることなのに、目指せないことが禅や武道には多い。伸びやかさ、清らかさ、涼やかさが代表的だろう。それらはいずれも、目指した途端にそうではなくなる。
 世間では、目標を立ててそれに向かうことを主体性と云うのかもしれない。しかし禅は、目標を立てて自分に義務を課した途端に主体的ではなくなると考える。なぜなら人工的な目標に自然を従わせるのだから、従属的としか云えないだろう。なにより自然とは、自在に千変万化することがその本性であり、目標に自分を従属させることは自然を潰すことなのである。
 臨機応変に千変万化する自然としての自分こそが、伸びやかで清らかで涼しげなのである。


 臨機応変や千変万化が大切であるならば、何かを望むことはその邪魔にしかならないと判るだろう。
 しかしそれでも、臨機応変で千変万化が大切だということは「知る」べきだろうと思う。また伸びやかで清らかで涼しげであることも、まずはそう「望む」ことから全ては始まるのではないか……。
 たしかにそれはそうだ。ここが大事なのだが、「知る」ことは大切だが「知った」とは記憶しないほうがいい。「望む」こともかまわないが、「望んでいる」とは意識しないことだ。
 そんな難しいことができるだろうか。
 しかしそれは、実際に命の記憶そのものが毎日見せてくれていることだ。敵に追われたときの逃げ足の速さも、受験間際の頑張りようも、あるいは火事場の馬鹿力も、失明したあとの触覚の進歩も、なにもかも普段の生活のなかでは意識さえされないことだがいざとなればちゃんと顕れる。
 だから知りつつ知らない、知らないけれど知っている、望みつつ望まない、望まないけれど望んでいるということも、体という自然に相応しい表現なのである。
 観測すれば粒子が姿を現すという量子力学は、ようやく自然を描写することを可能にしたと云えるだろう。
 その意味で人間の「生きる」時間は、波動的であったり粒子的であったりもするから、記憶は大切でありながら邪魔になる、邪魔ではあるが大切なものだと云うしかない。それは、命の記憶だけでなく、おそらく捏造されたエピソード記憶についても云えるのだろう。
 「生きる」とは、そうした相補的で重層的な在り方なのである。


 最後に命の記憶とも捏造された記憶とも違う、もう一つの記憶の在り方に触れておきたい。それは丸暗記されたお経などの記憶だ。
 べつにお経でなくともいいのだが、再生するときに意味を伴わない比較的長めのものがいい。
 戦前にはたとえば「教育勅語」や「軍人勅諭」など、誰でも暗記させられたわけだが、戦後はその内容への反省からか丸暗記という習慣そのものが教育の現場から失われてしまった。たぶん今や、残っているのは掛け算九九くらいだろう。
 しかしこうした丸暗記の再生を我々僧侶のように毎日していると、それがじつに不思議な体験であることに気づくのである。
 なにより再生するあいだには、言葉でモノを考えることができない。考えた途端にお経を間違えるのだ。唱えながら映像を浮かべることはできるが、それは特定の過去の記憶というはっきりしたものではない。
 はっきり申し上げると、この状態は瞑想に非常に似ており、そこには「わたし」がいないのではないかと感じるのである。だからおそらく、僧侶たちは「わたし」がいない状態で故人を思い浮かべてお経を唱えているのだと思う。もしもお経が「ありがたい」とすれば、ただひとえにそれゆえではないだろうか。
 お経を唱えていると、眼も耳も鋭くなる。しかしその焦点を絞って「目をこらす」「耳を澄ます」という状態になるとすぐに思考が始まろうとする。つまり「いま」を標本化して認識し、記憶を捏造しはじめるのだ。しかしそうするとすぐにお経を間違えるからわかる。唱えつづけているかぎりそうなることは防げるし、我々は「いま」に居続けることができるのだ。
 じつは我々は、丸暗記したお経を再生しながら、記憶を捏造せず、すぐに命の記憶という地平に辿り着くのではないか。そんな気がして仕方ない。その状態では身体は動かさないわけだから、「伸びやか」というより「清明」という感じだろうか。
 むろん僧侶だって四六時中お経を唱えているわけではないから、「ありがたい」ばかりじゃないことは確かだ。しかし私には、そうしてさまざまな記憶につきあい、死につきあいながらも「生きる」ことを主題に据えた僧侶の在り方が、ありがたくて仕方ないのである。

 
月刊「教育と医学」 2007年6月号(慶應義塾大学出版会)