立ち読み
エッセイ 
2015年
第44回「なしくずし」(うゐの奥山) 
オノマトペ 
第43回「線状降水帯」(うゐの奥山) 
第42回「立秋とお盆」(うゐの奥山)
第41回「加持の力」(うゐの奥山) 
「レールの向こう」への覚悟 
「洗い」と「石場建て」 
立秋とお盆 
忘れられたお寺とお墓 
禅における「不易」と「流行」 
第40回「川内村とシロヤシオ」(うゐの奥山) 
牛五郎の恋と平和 
第39回「大工さんと大工蜂たち」 (うゐの奥山)
第38回「一文銭の祈り」(うゐの奥山) 
第37回「石は軟らかい?」(うゐの奥山) 
臆病になる勇気 
第36回「門中のこと」(うゐの奥山) 
道なき道 〜ローカル・コミュニティ再生へ〜 
第35回「ミトコンドリアの秘策」(うゐの奥山)
第34回「『忘れる』ことの功徳」(うゐの奥山)
  2014年
選挙「権」について 
第32回 「桃林の誓い」(うゐの奥山)
第32回 「フクシマ・フィフティー」(うゐの奥山) 
翁忌に思う
第31回 「新『夢の島』構想」(うゐの奥山)
第30回「学術論文発表」 (うゐの奥山) 
余白の美 
第29回驚くべき「共生」(うゐの奥山) 
第28回「栗の花」 (うゐの奥山) 
傾聴する僧侶
第27回「福島の真実」?(うゐの奥山) 
 ヒューマン・エラー
第26回震災後文学賞 (うゐの奥山)
ひとりでに 
中間」貯蔵施設の行方 
第25回八風吹けども (うゐの奥山)
第24回「石敢當(いしがんとう)」 (うゐの奥山)
ネコの枕経 
永遠なる『家路』 
第23回「勧進帳」(うゐの奥山) 
恵方巻き 
第22回「清新の気」 (うゐの奥山)
アッパレ・お国ことば〜福島・三春(2)「エンガ見た」 
2013年
この辺りの幽霊の問題 
第21回「食品偽装とブランド信仰」 (うゐの奥山) 
第20回「節約の代償」(うゐの奥山) 
「見識」から「厳罰」へ
第19回「朽ちつづける家」(うゐの奥山) 
心のこもった卒業式 
アッパレ・お国ことば〜福島・三春(3)さすけねって
お彼岸とお盆 
鬼のメンコ 
第18回「お彼岸とお盆」(うゐの奥山)
「風流」の境地へ 
第17回 「蛇の目」(うゐの奥山) 
徳島にて 
第16回 「裁判員制度ふたたび」(うゐの奥山 
裁判員制度ふたたび 
宗教と政治 
第15回 「『手入れ』しつづける国」(うゐの奥山)
「マイナンバー」要らない!! 
「除染1ミリシーベルト」の愚
第14回「キャンベル先生!」(うゐの奥山) 
第13回「いまいちど」(うゐの奥山) 
禅師、かくの如く自愛せり 
第12回「効率と和合」(うゐの奥山) 
虎穴に入る君子 
第11回「丘にあがった船」(うゐの奥山) 
白隠 厳粛かつポップな禅僧 
高橋亨平先生の思い 
第10回「『聖域』のゆくえ」(うゐの奥山) 
福島の再生なくして、何が「日本再生」か 
木を植える仏教   
  2012年 
第9回風邪の効用 (うゐの奥山)
仮設のSさん 
第8回忌み詞 (うゐの奥山)
「心的被曝」に喘ぐ福島の現実 
第7回偉くなった私たち (うゐの奥山)
仕事をしたり笑ったり 
全国の線量調査結果 
第6回「人権、この厄介なるもの」(うゐの奥山) 
「やむにやまれぬ」人間と仏像 
守られた時間と、天恵 
第5回「ご先祖様もお元気で!」(うゐの奥山) 
金輪際 
つつじの規矩と自由 
死して生まれよ 
教育委員会という「飾り」 
第4回「五重塔の意地と祈り」(うゐの奥山)
「無心」の教育 
暮らしの中の宗教 
第3回 「花御供」 (うゐの奥山)
子どもの日の祈り 
もう、理屈ではなく 
第2回 「不自由ゆえの飛翔」 (うゐの奥山)
過ちては即ち改むるに憚ることなかれ 
第1回「みんな同い年」 (うゐの奥山)
アララの原則 (放射能と暮らす 6)
沖縄から見たフクシマと人権 (放射能と暮らす 5)
みちのくの底力
あの人と共に生きる
小祥忌 「わざわい」から踏み出す一歩 
菩提 
松に鶴 
面子と慈悲のはざまで (放射能と暮らす 4)
風化 
方丈 
蜘蛛のなかの銀 (放射能と暮らす 3)
ダルマの一文字 
愛嬌 
  2011年
この秋の、切なる願い (放射能と暮らす 2) 
 妄言妄聴『荘子』からの風波
 ブータン国王の祈り
「わからないこと」と向き合う 
露地 
三春駒さまへ 
正義はとっても困る (放射能と暮らす 1) 
葬式ははたして必要か 
危うい、予防意識 (福島三春町たより 2)  
無念 
原発とTPP 
火山列島の恋 
搭婆 
生活を選び直すとき 
フクシマで読む『方丈記』 
放射能の森で見つけた鳥たち 
報道機関 追及の気概を 
道場 
「裸の王様」と、次の王様
音速という安心 
火山列島の平和 
青々として悲し(福島三春町たより 1)
上野のカツオ、小名浜のカツオ 
君子「牛」変 
情報による被災 
 
あなたの影をひきずりながら 
Is It Possible to Fear Properly? 
荼毘 
落款
人牛同病 
海と阿弥陀堂 
有縁無縁  
巨大なきっかけ
専門家信仰 
七難 
放射能と「光ガード瞑想法」 
借りる力 
神巫を嘲笑する荘子の「遊」 
「運が悪い証拠」を捜さない 
解毒用「安定ヨウ素剤」を飲む決断 
南無 
急げど慌てず 
処女作は永遠? 
八百長と小説の「誠」 
補陀落 
国は「誠」を示すべきだ 
閼伽 
梅的、桃的、桜的。 
大人と子供 
瓦 
人生を仕分けたがる人々へ 
憑依する神霊 
鉢の木 
中有 
無法の禅 
  葬式・法事は生き残れるか(野口善敬師) 
  2010年 
死がまとう生の衣装 
無「思考」な時間が最良の判断を導く 
異端の「ハレルヤ」に神罰は下るか? 
アカルイあきらめ 
「しきたり」と革新の街、京都 
計画病 
運命の休刊 
次の一歩 
啖呵 
自由と、不自由 
聖なる赤い糸玉 
徹底 
邪見 
らしい 
修多羅 
死ねる病院はどこ? 
伽藍  
講堂 
墓地共用のすすめ 
挨拶 
念仏 
花散らぬ、嵐 
権化 
  2009年 
微妙 
まもなくクランク・アップ
『阿修羅』という体験 
「一日暮らし」の百三年
新作『阿修羅』のこと 
海という暗黒 
恥なき藪の世界へ 
精進料理、あるいはコンニャクの修業のこと
桜が枝垂れたワケ
甘みの旨味
モノからコトへ ―妙心寺展に寄せて―
2008年
瀬戸際に、思う (上)(中)(下)
これまでに自殺を考えたことがありますか?
禅の手引き―人間関係の悩み解決します
不自然な自然
お坊さんだって怒ってる
風流の起源
弟子の志看取る慈父
嵐山は煙雨
謹賀、不良元年!
我が家のお正月のしきたり
人生相談「生と死」
2007年
涼風に出逢う旅
「自然」への祈り
大目にみる
過渡的な解決策としての「赤ちゃんポスト」
「生きる」ことと記憶
若冲展に思う
お金で買えないもの
型より気分 言葉は自由
嗜好品という文化
三春の桜
大根の力
雇われないで生きていく
相補的な見方(上)(中)(下)
約束
2006年
般若心経 いのちの対話
母から子への手紙
性懲りもなく
仏教者が読んだ「美しい国へ」
いろはと「禅」/犬も歩けば棒に当たる
中小という美徳
「丸暗記」という文化
無鉄砲と、鉄砲
無宗教による追悼?
高提祖印
アレンジに期待  
「つれづれ」なる時間の重さ
心のそよかぜ
「小学校英語」必修化に反対!
「金銭的満足」と「心の豊かさ」の方程式
我が老師
木瓜と認知症
再び泣くかもしれない赤鬼
「満」と数え年
呼吸が運ぶもの
禅と仮想
いくつもの春
「白」を信じる
正義・効率・遊ばない
2005年
あらきそばと判官贔屓
ありがたき無功徳
ネコとヒトの教育
鏡板の老松
剃髪への目覚めと、その後
幽玄に向かうとき
「もらい笑い」の思い出
電話の電話、郵便の郵便
山からの声
偏愛が支える熱情
のれんに腕押し
有情の春
御朱印コレクション
尊厳死の奥に深い人生と愛
仏教宇宙が物理宇宙を包み込む
養老先生ってどんな人?
心変わり
信者生むネット教育
みんなの花
壊れゆくお正月
人権とテトラポッド
樸と器について
不揃いな神々のココロ
2004年
帰りなん、いざ!
ウォーキング・サピエンス
形而上的おぼん
出家とは、情報あふれる分業社会からの帰還
「みずうみ」という魔界
透明な軌道の、その先
手紙のなかの「虚」と「実」 
ワガママから禅定へ
念ずる力
「罰としての作文」に思う
私の「大人のための3冊」
片手の音……『禅的生活』余滴
非常識の熟成について
翻訳された神さまのこと
2003年
積み木を蹴って、ごめんなさい
福島県人は「のんびりちゃきちゃきしんなり」!?
本来の自己「現す」のが真骨頂
有時するということ
誠の花
三途の川の日本的変質
美しくなっていく床
坐禅と瞑想
桜と祭
お風呂のような、般若心経
みんなでプリンを食べる勇気
2002年
夢みる手
危険物としての心
有為の奥山
行脚のための「三種の神器」
御前さまの御前に
「黙識」あるいは言語道断の言語
氷雨
空中の道路
360度の虹
「なすわざ」と「せぬひま」の祭
2001年
中陰ガム
ウイスキーという作品
ガン治療の値段
お経と小説
 
書評 
信じる人にも、信じない人にも 
まどさんは、えらい!
今読み直したい私の1冊『平行植物』
ガンと自然への遠大な試み
切ない求道の物語
二六二文字にこめられた「空」の心
クリエイティヴな死の稽古が生の質を変える
型より気分 言葉は自由
『知と愛』若き葛藤を包み込む息づかい
「手紙」…塀を越えた、血潮の奔流
メッカ、チベット、エチオピア、アンデス<神に祈る人間>の姿と心を玄侑宗久と読む
病魔に冒された科学者が辿り着いた「神なき信仰」
月落ちて天を離れず
すさまじき遊行の迫力 
川端康成『眠れる美女』 名長篇―新潮が生んだ四〇作 
がんばらず、りきまずに生きて行く「縁起」の世界を説く
泥のなかに咲いた蓮たち
恐るべき新興宗教の出現
 
連載 
  日日是薩婆訶 
  妄言妄聴「荘子」からの風波 
  無法の禅 
「むふふの人」  
「いのちの養生法」
巻頭リレーエッセイ 「武道」 
玄侑和尚のお米がたり 
禅のいろは  「文蔵」 イラスト:川口澄子 
季節だより  「ダーナ」 (インタビュー/季刊誌) 
未来創発  「我が身の経営」 
日曜論壇  福島民報(不定期) 
  さすらいの佛教語 / 暮らしの中の仏教語「心象風月」を改 
「週刊新潮」2005年1月13日号から2005年2月3日号まで4回連載  (『サンショウウオの明るい禅』所収) 
曹洞禅グラフ / No.90 〜No.93まで(仏教企画発行) 
玄侑さんの「禅語の前後」 / 「ミセス」2004年1月号から2004年12月号まで連載 (『禅語遊心』所収) 
暮らしの風 「ベラボーな生活」 2002年4月号から2006年3月号まで48回連載(『ベラボーな生活』所収)