其の弐拾七  
     
   「福島の真実」が書かれているというので、「週刊ビックコミックスピリッツ」連載中の漫画『美味しんぼ』を読んでみた。すると、原作者の雁屋哲(かりやてつ)氏の分身とも思しき山岡某が、福島第一原発を視察しての帰京後、鼻血を出す。さぞや甚大なストレスだったのだろうと、同情して読み進めたのだが、やがて双葉町の元町長だった井戸川克隆氏が作中とんでもないことを言いだす。「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」。そして一緒に福島に同行した二人も「自分も鼻血は出た」と同調し、かくて福島では鼻血が出やすいけれど、それが隠されているという「真実」ができあがっていたのである。
 笑っちゃいそうだが、笑いにはならない。なにゆえこのような「真実が」できあがるのか、深刻に考えるまえに、一応、富岡町、葛尾村、大熊町、元の都路村などの知人に訊いてみた。誰にもそんな認識はない。多くは血ではなく、鼻から乾いた嗤いを漏らした。
 不快には思いつつも、しばらく放置していたら、五月四日になって雁屋氏からのブログに不敵な文章を載せた。「私は自分が福島を二年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合の良い嘘を書けというのだろうか」
 二年間に六回の取材がどの程度熱心なのかは分からないが、これは双葉町の抗議文にもあるように、そもそも真実に反している。「誰かさんに」どころか、「自分たちに都合の良い嘘」と呼んでもおかしくない話である。
 鼻血については、これまでにも札幌に避難した母親が参議院で訴えたことがある。しかしいずれも急性被曝とは考えられない以上、むしろ甚大なストレスを疑うのが医学的な常識というものだろう。
 怯えや緊張、慣れない福島滞在によって呼吸が浅くなり、自ら活性酸素も増やしてしまい、弱っていた鼻腔の粘膜が破れたのではないか。あるいは粘膜の再生を促すビタミンAの不足も疑ったほうがいい。強い怯えが体調をどれほど左右するものか、甘く見てはいけない。だからこそ、怯えながら取材した人々や、故郷を離れて見知らぬ土地で暮らす人々のストレスこそ甚大だと思うのである。
 全国各地の放射線量の推移や、国内での放射線量の偏りなど、少し広く深く、放射線について学んでは如何だろうか。どこの国でも放射線量は場所によって偏りがあるわけだが、現在の日本は、福島県も含めて恰度カナダと同じ程度の線量分布である。少しでも余分な不安を解消し、鼻の粘膜が回復することをお祈りしたい。
 だいたい、鼻血が出るのにそれを人に言わず、隠している人が大勢いるという話を雁屋氏は信じたようだが、もしもそれが本当なら、私も是非取材してみたい。いったいどういうわけで隠すのか、どうしたら隠し果せるのか、知りたいではないか。
 ああ、谷岡ヤスジ氏の「鼻血ブー」という、長閑な驚きの表現が懐かしい。 


 
東京新聞 2014年6月7日/中日新聞 2014年6月21日【生活面】 
  次回へ