今ほど未来への不安が大きい時代もなかったような気がする。
 年金や福祉、医療ばかりか、北朝鮮、中国など、安全保障の面からも不安のネタには事欠かず、しかも頼りない政権はいつまで経っても学級会みたいな内輪もめを止めそうにない。
 しかし我々の不安は、そのような外的な条件よりも、むしろ我々の心の傾向によって増幅されているのではないかと思う。
 つまり、未来は分からないもの、という諦念を、我々はいつしか喪失してしまい、そのために「分からない」不安が理不尽な苦しみとさえ感じられるんもではあるまいか。
 振り返れば洋の東西を問わず、未来を予知し、予言する者こそ常に権力を握ってきた。この世で最初に予言者になったのは、ギリシャ神話に登場する大地の女神ガイアだとされる。ガイアの信託は、山の割れ目から噴きだす蒸気を吸って神懸かりになる巫女(みこ)、シビュラによって告げられた。
 ガイアからデルフォイの神託所を奪った子孫のアポローンも、ピューティアと呼ばれる巫女たちを通して予言を告げた。彼女たち霊媒の言葉は、政治、経済、宗教どころか戦争に至るまで、大きく動かす力をもっていたのである。
 むろん中国の古代にも、占いや巫術(ふじゆつ)は大きな力をもっていた。亀の甲羅に入った(ひび)で政治の決断するのではなく、夢解きをする専門の役所まであったらしい。巫術も夢解きも、未来を予知するとされたからこそ力をもったのである。
 日本における卑弥呼の存在も、そのような予知する力と無関係には語れないだろう。思えば聖徳太子も「未然のことを知る」能力があったとされるし、七福神で唯一実在した唐の布袋和尚も、天気予報やその他の予言が当たったと云われ、ついに中国では未来仏の弥勒菩薩として祀られるに至ったのである。
 人間がどれほど未来を知りたがる存在か、納得いただけただろうか。
 そんな状況のなかで、しかし荘子は紀元前四世紀の中国戦国時代、占いや巫術を徹底的に批判した。『荘子』応帝王篇に描かれる季咸(きかん)という神巫(みこ)への仕打ちは尋常ではない。そこで神巫は、けっして未来が見えているのではなく、現在をつぶさに見ているだけなのだと明かされ、しかも人がそんなふうに占い風情に見透かされてしまうのは、世間に対してなにか(かたく)なに押し通そうとするものを抱えているからだと喝破した。
 儒教ではそれを「志」と呼び、現代人は「計画」「目標」などと言う。「計画」も「目標」も「志」も、現代人にはけっして悪いものとは思えないだろう。しかし荘子によれば、そこは全く違う。変化し続ける状況に完全に身を任せることこそ荘子にとっては目指すべき境地であり、そうした変化に逆らう意志は、どう呼ばれようと(さか)しらな人為として否定されるのである。
 あらゆる未来を想定せず、無心にその変化に対応していく。それは仏教の「観音」の思想、すなわち三十三変化にも通じるものだし、また禅をなかだちに武士道にも繋がっていく考え方だ。
 あらゆる予断をもたず、なんの「目標」も「計画」も「志」ももたず、やや受け身がちに無心で立っている状態、武士にとってはこれが最強の在り方なのである。
 現代でも、人は同じように未来への不安から、霊能者や占い師、あるいはスピリチュアル・カウンセラーなどと称する人々に(すが)る。なにも考えず無心で、などといっても、そんなふうに在りたいとさえ思わないだろう。なによりの元凶はおそらく、シミュレーションなどと呼ばれる科学的な予測が、今は可能だと思われていることだろう。
 しかし複雑系は一つの要素の変化が思わぬ大変化を引き起こす。明日の天気予報の的中率はかなり上がってきたが、十日以上先の予測は殆ど無惨なほどしか当たらないのである。
 野生動物が自然災害を免れるのは、予知能力なのではなく、じつは繊細に「いま」を感じているせいだということを、そろそろ我々も自覚しなくてはならないだろう。
 荘子は「不測に立ちて無有に遊ぶ」と、その境地を表現する。あらゆる予測をもたず、今このときを予断なく無心に「遊」ぶのだ。
 いったい、これほど積極的に「遊」を謳った思想家が、かつていただろうか。「遊」とは本来「神」だけを主語にもつ動詞だったが、荘子によって初めて人間にも拡張されたのである。
 低成長とも言われる時代、必要なのは成長のためのいかなる「計画」でも「目標」でも「志」でもなく、むしろ現状を肯定してそこに「遊ぶ」ための思想ではないか。『荘子』こそが今この国には切実に求められているはずである。 


 
 
   
     
「文藝春秋SPECIAL」季刊春号 2011年4月号