八十五歳の父は、もう一年半あまり入院生活を続けている。三度目の脳梗塞を起こし、右半身がきっちり喉まで利かなくなってしまった。
 喉が半分利かないということは、食べたものがいつ気管に入ってもおかしくない。健康人でも、誰もが口の中には常時肺炎の菌をもっているというから、常に誤嚥性肺炎の危険に晒されているということだ。
 先のローマ法皇ヨハネ・パウロ二世は、自らの尊厳のために胃瘻は断り、気管切開は受けたとされるが、父は思案の末に両方ともお願いすることにした。むろん、思案したのは本人よりもむしろ家族である。肺炎で発熱した本人も、頷きはしたが本意は分からなかった。
 今はもう、気管切開のせいで父は話せず、また胃瘻のせいで食べ物を味わうこともできない。しかし意思の疎通は「頷き」と「首振り」でかなり叶うようになってきた。こちらの質問に、イエス・ノーの意思表示だけはできるからである。どこまで複雑な会話が可能かは、ひとえに質問の仕方にかかっているといえるだろう。
 もう一つ、父は左手をまだ動かすことができる。紙を捧げ持ち、筆ペンを渡すと、そこに文字を書くのである。
 あるとき、「ご気分は如何ですか」と訊ねた姉に、筆ペンを持った父は、「鉢の木」と書いた。「鉢の木」と聞いて、私はすぐに昔父に教わった謡曲「鉢木」のえ:村上豊物語を憶いだした。北条時頼が旅僧として佐野辺りで雪に遭い、宿を請うのだが、佐野源佐衛門は貧しいながらも粟飯でもてなし、暖をとらせるために愛蔵の鉢の木を燃やす。大切にしていた梅・桜・松の鉢植えを燃やしてくれたのである。事あらば「いざ鎌倉」という強い覚悟を源佐衛門に感じ取った時頼が、後に実際「いざ鎌倉」となったとき、それに報いたという物語である。
 はて、今の気分が「鉢の木」とはどういうことか……。
 私はしかし、すぐにそんな難しい例え話ではないのだと理解した。水も栄養も人からもらって生きながらえている、植木鉢の木と同じだと、父は言いたかったのだろう。
 思えば鉢の木は、仏像と同じではないか。こちらが大切にして拝み、水や食事を差し上げて初めて尊い存在になる。仏像でさえ、尊厳は周囲の人々によって作られる。しかし……、もしや父は、周囲に佐野源佐衛門の覚悟を促したのだろうか……。


 
  えと題字・村上豊   
「文藝春秋」 2011年1月号