どうにもふざけた話が持ち上がっている。環太平洋連携協定(TPP)である。当初はシンガポール、チリ、ブルネイ、ニュージーランドなど小国が提携することで市場での競争力を上げようという試みだったわけだが、昨年十月以降、その中心にアメリカが入ることで性格は一変した。
 基本的には例外を認めず、加盟国間の関税を一切廃止し、農産品や工業製品をはじめ、公共事業、金融、知的財産権、医療サービスなどにおけるあらゆる非関税障壁を撤廃し、自由化しようというのである。
 そう言われてもピンと来ないかもしれない。具体的に申し上げよう。日本がもしもTPPに加盟すれば、例えば現在の規定では、七億六千五百万円以上の公共事業には、各国も入札に参加できるよう、英語での発注案件公示をしなくてはならない。要するにこれは、オバマ政権がその命運を懸けて行おうとしているアメリカの「輸出倍増計画」、そして大量の失業者への「雇用対策」なのだ。
 アメリカは「自由で公正な貿易の確立」などと言うが、自国の言葉で自国のルールに従わせることが、なにゆえ公正なのか。
 小泉・竹中ラインはアメリカに迫られ、郵便貯金を世界のマーケットに提供しようとしたが、これはそれを上回る「国売り」である。
 医療や福祉の現場でも、早晩英語を使う職員がなだれ込んでくるだろう。日本語が話せなくてはならない、などという非関税障壁は、TPP違反だし、何より彼の国では医療も福祉も自由に競争すべきサービス業なのだ。むろんそこでは患者のことなど考えられていない。
 現在は500%以上の関税で守られている日本のコメも、自主関税権を放棄すれば守れるはずもない。間違いなく廉価なカリフォルニア米が大量に入る。しかもアメリカは、フランスや欧州各地で拒否された遺伝子組み換え種子を、日本に輸入すべく身構えている。農地売買に関する規制も取り除くつもりだから、日本の田畑をアメリカ人が買い、アメリカからやって来た人々に使われながら働く農民が増えることだろう。
 文化や考え方、制度の違う国が、自国の在り方を守るのは当然の権利である。いくら話し合っても共通の基準など措定できないことは、捕鯨をめぐる問題で明らかではないか。
 現政権がもしもTPP加盟に踏み切るなら、この国の形を徹底的に壊し、「アメリカの属国にさせた政権」として永久に名が残るだろう。
 小学校や会社でも英語を使い、すでに植民地のようなものだが、最後の最後には大多数の国民を守ってくれる政府なのか、それとも一部巨大企業だけを優先し、一緒に甘い汁を吸う政府なのか。ここでは原発と全く同じ問題が問われているのである。


福島民報 2011年 11月6日 日曜論壇