A「彼は先週、また遅刻したんだ」B「らしいね」
 AとBの会話だが、これまでの日本語の感じからすれば、Bも遅刻のことを聞き知っていて、「らしいね」は「そうらしいね」の省略形、つまり伝聞の「らしい」と受け取るのが普通だろう。ところが最近の使い方は違うようで、Bの「らしい」は、「(いかにも)彼らしい」の省略形だというのである。
 英語にすれば解りやすいかもしれない。He was late again last week. というAに対し、従来型のBはYeah, I heard. と答え、最近のはTypical! またはIt's typical of him. という応答になる。
 言葉は生き物なのだし、「らしい」の使い方が増えたのかと鷹揚に構えたいところだが、どうも気に入らない。Bの言い方には、自分が思い込んでいる彼のイメージどおりだったことを喜んでいるフシがあり、これでまた「彼」のキャラが強固になる。そのうち「彼」もtypicalな「彼」像から逃げられなくなるのではないか。
 だいたい「キャラ」という言葉で軽く人を決めつける風潮にも賛成できない。人はどんな状況次第でどんなキャラにだってなれるではないか。だからこそ仏教は六道や十界という人格の幅を想定したのである。
「そういう玄侑さんだって、キャラ動かして小説書いているんでしょ。小説家がそんなこと言うなんて、信じられない」
 ある人がそういうのを聞いていて、高校生がぽつりと呟いた。
 「らしいじゃん」
 はたして彼は、私を擁護しているのか、揶揄しているのか……。

 
 
読売新聞夕刊〔にほんご〕 2010年10月8日