一周忌のことを、仏門では「小祥忌」と呼ぶ。亡くなって一年経つころには、同じ季節が巡ってくるため、喪失感がひときわ強くなる。そんな時に法要をすることで大きな区切りをつけ、今後は「めでたい」方向に歩みだそうと誓うのが「小祥忌」という儀式である。 「祥」という字は不思議な文字で、もともとは「わざわい」を意味した。だからこそ「羊」という生け贄(いけにえ)を祭壇(示、ネ)に供え、神に祈るのである。「羊」は現代風に言えば、故人亡きあとに捧げられる遺族それぞれの奮闘努力のことか。我が身を「羊」として捧げるべく奮闘し、それによって「わざわい」が「さいわい」に転じたため、後に「祥」という文字そのものの意味が「さいわい」に転じたのである。 震災から一年が経った今、我々は少なくとも「さいわい」や「めでたさ」の萌芽(ほうが)だけは見出したいと願っている。「祥」という文字に起こった劇的な転換が、自分たちの中にも起こると思いたいのだ。 実際はどうなのだろう。 福島県の被災地の場合、どうも最終的に目指すべき状態がはっきりしない。特に原発周辺の町村の場合、その存続について、国がどう考えているのかが全く見えないのである。 大熊町、富岡町、双葉町、浪江町など、当分は戻れそうにない地区を抱える町村について、国はいったいどう考えているのだろう。 行政を存続させようと思うなら、双葉町が訴える「仮の町」、つまり代替え地がどうしても必要になる。 全国各地ばらばらに避難している人のなかには、そこに根を張りはじめた人もいる。県内に戻るとしても、他の行政区に溶け込んで暮らすことになる。旧来の町村が存続するためには、同じ町民や村民がとにかく集まって住める場所を、国は提供する必要があるのではないか。私はそのことを、第1回と第十三回の復興構想会議で提言した。つまり菅直人前首相にも野田佳彦首相にも、お願いしたのである。平野達男復興相から「重く受けとめて検討したい」という言葉はあったものの、それから四カ月、まったく何の動きもない。 チェルノブイリの場合はスラブティッチという五十万人都市が新設され、個々の町や村はなくなってしまった。今回の福島原発事故において、国は新たな町を作ることもなく、幾つもの町村を「かつてあった」町村にしてしまうつもりなのだろうか。 一周忌を迎えるに当たり、そこをはっきりしてもらえないだろうか。そうでないと、当該町村の人々は心に区切りをつけられず、再出発の足場も見いだせない。「わざわい」が「さいわい」に転ずるまでは望まないにしても、せめて「わざわい」の底が見たい。小祥忌は死者たちを弔うと同時に、一歩を踏みだす足場を確かめる儀式のはずである。 |
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「世界日報」2012年3月11日 | ||