全てのものごとは複雑に原因が絡み合い、またその場の条件にも左右されながら、私との関係性のなかで起こる。そう考えるのが仏教であり、「縁起」の思想だろう。だから仏教では、単独で固定的な実在を一切認めない。それが「空」の哲学である。 そうした思想傾向のなかで、最も嫌われるのが「単因論」というものだ。つまり何かの原因を、ある一つの事柄に帰結させるのである。お釈迦さまはひどくそれを嫌った。
たとえば私が太っているのは、寝る前に食べるあの饅頭のせいだ、という場合でも、それは無数の原因の一つではあっても全てではない。太るというのはもっと複雑な事情だろうと考える。彼の背が高いのは、中学高校とバレーボールをしていたせいだ、というのも、バレーボールへの思い込みが強すぎると、仏教では判断するのである。
この同じ思考法で人気を博するのが、いわゆる「おがみや」と言われる人々だ。あなたの肝臓が悪いのは、先祖にお酒で死んだ人がいるからですよ、その先祖を供養しなさい、などと語る。いわば無数で見えない原因の一つを、すぱっと自信をもって語ってくれるのだ。知りようがない全体から一つだけを特定し、行動の基準を与えてくれる彼らには、根強い人気がある。じっさいそこで安心をもらい、場合によっては肝臓も好くなったりするから不思議である。
しかし考えてみれば、おがみやさんに限らず、我々は日々の生活のなかでそうした単因論めいた考え方をしていることに気づく。
目が悪くなったのは本の読み過ぎだ。勉強ができないのはあの親たちの子供だからだ。車に轢かれたのは、相手の車が信号で止まらなかったせいだ。等々。本質的にはそれだけじゃないと知りつつも、以上のような考え方は誰もがしているだろう。また佳いことになると更に無意識に事態を単因化してしまう。
私が芥川賞をいただけたのは、安積高校で学べたお陰だ。私が小説を書くのは、この地域に育まれた感性のお陰だ。なんて言うと、それはおかしいと考える以前に、愛校心や地域愛の表現として喜ばれてしまうのである。僧侶としてはこれは厭うべき偏愛だが、しかし小説を書く私には、こうした偏愛も必要な気がする。文章を書こうという熱情も、ある種の偏愛が支えていると思えるのである。
『全国文学館ガイド』
文豪がより身近になる文学館の楽しみガイド
全国文学館協議会
編
ISBN 409387574X
A5・208ページ
定価1,500円(本体価格1,429円)
2005年7月29日
小学館
全国文学館協議会の発足10周年記念刊行。文豪がより身近になり文学がより面白くなる楽しみ方ガイド。「文豪の愛した小物たち」ほか特集も充実。全国550余館の文学館リスト、文学者別の文学館INDEXも併録。