世の中に、いまだかつてミスをしたことがないという人はいるのだろうか。おそらく皆無だろう。たとえばヒットラーも、当時のドイツ人が正当な選挙で選んだのだし、イラク戦争も、アメリカの思い込みで堂々と始まってしまった。
 アメリカはまだ、ミスだったとは認めていないが、予測された核施設がどこにも見つからなかった以上、間違いだったと言うしかない。またヒットラーを選んだドイツの人々も集団でミスを犯したと認め、国として長年にわたって賠償金を払いつづけたのである。
 東日本大震災では、まだ情報公開が不充分で、なにが間違いだったのかよく分からないことが多い。しかし例えば、慌てふためいた総理が現地にやってきたのは、ミスではなかったか……。
 政府の広報機能がその間、完全に麻痺した。ただ、ある意味ではそのお陰で、都市パニックが起こらずに済んだという面も忘れてはならない。そして政府が機能しなくとも葛尾村や川内村は独自に全村避難を決め、わが三春町も厚労省の指示を待たず、県の返却要請も聞かずに「安定ヨウ素剤」を配布した。国や県のミスを、基礎自治体や住民個々が補う動きをしたのである。
 中間貯蔵施設の決め方や汚染水の処理法などにも、ミスはないのだろうか。あるいは警戒区域だった相双地方の市町村民のために、国が集団で移転できる場所を確保しないのは、間違いではないのだろうか。TPPはどうなのか、農業の集約大規模化はこの国でも妥当なやり方なのか……、いろいろあるが、それが失敗や間違いなのかどうかは、すぐには見えてこないことも多い。
 間違いだったと分かれば、普通はその都度修正することもできる。しかし世の中には、修正可能なミスだけでなく、取り返しのつかないミスもあるはずである。原発の爆発事故や冒頭に挙げたホロコースト、あるいは戦争などがその代表的事例だろう。後悔しても許されないほど、それは大量の死者や被災者を出す。
 二○○○年のミレニアムを記念し、ロンドンのテムズ河に掛けられたミレニアムブリッジで、開通早々想定外の「横揺れ」が起こり、あえなく三日後に閉鎖される事件があった。そこで起きたのは、当初の微かな揺れに対する個々人の重心の移動が、千人規模で同期した結果である。たとえ間違って始まった戦争であっても、巻き込まれればおそらく国民は同期し、「横揺れ」は拡大するだろう。
 集団的自衛権が憲法論議もないまま間違って容認され、アメリカが間違って始めた戦争に荷担すれば、日本もその日からテロの対象国になる。そうなればテロリストの狙いは、全国で再稼働される原発。それだけは間違いない。「人間は間違えるもの」そして「間違っても突っ走るもの」。そう思っていないリーダーは恐ろしい。

 
福島民報 2014年 6月15日 日曜論壇