福島県議会も福島県も、放射性廃棄物の貯蔵については、一旦双葉郡の大熊町や双葉町などで「中間」貯蔵するものの、三十年以内に県外に持っていくという条件で話を進めつつある。
 しかしいったい、どこへ持っていくことが可能だというのだろう。
 もしも三十年後、やっぱりどこも受け容れてくれません、ということになったら、どうするのだろう。
 これは二○一二年の三月、県の主催したシンポジウムで私が佐藤雄平知事に質問したとおりの疑問である。
 三十年後、といえば誰も責任をとれる立場の人はいない。そんな約束を信じるんですか、と私は知事に訊いた。すると知事は、「信じるしかないでしょう」と答えたのである。
 政治家として、そうあってほしいという願いは解らないではない。だから法制化してほしいということなのだろう。しかし代替え地が見つからなければ法律があっても話は始まらないのである。
 なしくずしに「永久」貯蔵施設にされるのは、誰でも嫌だろう。私もそれは嫌だし、だからこそ、進んで「永久」になっても支障ない施設を作ってほしいと思うのだ。それが被災地としての雄々しき決断だと思うのだが、如何だろうか。
 この問題の根底にはいわゆる「迷惑施設」への一般的市民感情が横たわっている。つまり、そういう施設が必要であることは分かるけれど、自分の家の近くは嫌だ、という考え方である。
 昔はそんな考え方を表明すると、身勝手と言われた。公のために私を滅することが普通に行なわれた時代には、ある種の自己犠牲がさまざまな問題を解決してくれたのである。しかし今や「人権の時代」、自分以外の誰にも自己犠牲を求めることは難しい。いや、自分自身でさえ、そうせずに済む生き方を探っている時代ではないか。
 だからこそ「県外へ」と、県や議会も望むのだろうが、同じ権利は県外の人々のほうがもっと強く主張できることを忘れてはいけない。
 朝、登校して教室に行ったら、誰のせいでもないゴミが教室にあったとしよう。誰もが嫌がるたぐいのゴミならば、どうすることが望ましいのか、中学生の道徳の問題として考えてみてはどうだろう。
 なくせないなら減容化の研究も必要になる。また、根本的にそのゴミを出した源をどうするか、自らに問い詰めなくてはなるまい。そしてそれが本当にゴミなのか、という議論も起こるかもしれない。道徳だけでなく、理科や社会の学びにもなるではないか。
 いずれにしてもありえないのは、どこか別な教室に持っていけばいい、という話である。そんなことを校長先生に訴えるよりも、教室内で深めるべき議論があるのではないか。

 
福島民報 2014年 4月13日 日曜論壇