|
日本人は、人と会うと、お辞儀をする。それはなぜかという考察を、哲学者の上田閑照先生から伺ったことがある。
一言でいえばそれは「寂滅現前」だと、先生はおっしゃった。たとえば和室でも、日本人は敷居の手前でお辞儀してから敷居を跨ぐ。その際に敷居は、けっして踏んではならない。敷居の手前でそれまでの自己を「寂滅」させ、新たな自己を「現前」してから入室するのだ。つまり敷居とは、そこで生まれ変わるための大切な閾だから、足蹴にしてはならないのである。
来客があったとき、場合によっては機嫌が悪く、たとえば夫婦げんかの直後だったりすることもあるだろう。しかしそんな自己は敷居の前で「水に流し」、寂滅させてしまう。
時には歓喜雀躍するような出来事の直後ということもあるかもしれないが、その場合でも客室にそれを持ち込むことを、本来は嘉とせず、得意淡然の心がけで客を迎える。要するに日本人にとって新たな出逢いは、「無心」で迎えるべきと考えられているようなのである。
ここからは私の推測だが、きっと、だからこそ日本人の挨拶は、「こんにちは」なのだろう。
世界でもこの挨拶言葉はじつに珍しい。通常、中国語の「你好」にしても英語の「Good Afternoon」にしても、相手に祈る「好」や「good」が入る。しかし日本人は「こんにちは(今日)は」と言うだけで、その後に祈りに当たる言葉を添えない。今日は、いったいどうだというのか、いったい何を祈っているのか、見ても聞いても一向に分からないのだが、「寂滅現前」を思い起こすとこれも理解できるのではないか。
たぶん日本人は、今日「も」ではなく、今日「は」、とにかく昨日と違い、過去ともまったく決別した、新たに生まれ変わった一日であれと、祈っているのではないか。おそらく無心で今日を迎えよと、言いたいのである。
これはもしかすると「無常」の行動化、行為規範化、ということだろうか。
お辞儀にも「こんにちは」にも、「無常であれ」、「水に流してしまえ」、「寂滅現前せよ」という意図がはっきり染み込んでいるように思えるのだが、如何だろうか?
通常、「無常」といえば、「私」が世界を観察した印象のように聞こえる。ギリシャのヘラクレイトスも「万物流転」と言っているし、同じような認識と捉えられることが多いはずである。
しかしおそらく日本においては、「無常」は認識であることに留まらず、行動の規範にまで深化した。同じ自分を引きずらない、という意味で、「無常」はより活発な自己を生成する原理になったのではないだろうか。その一端が、おそらく挨拶言葉やお辞儀という、基本的な行為に窺えるのである。
「無常」の元は、むろん仏教の「諸行無常」である。
「諸行無常」は仏教の三宝印の一つ。インドから、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三点セットで伝わってきた。つまり、この世のあらゆる現象は常に絶え間なく変化しており(諸行無常)、それはいつだってさまざまな関係性の結果起こり、単独で自立した存在など何一つない(諸法無我)。その間違った思い込みに最も陥りやすい「我」が溶暗すれば、世界ぜんたいが安らかで静かなものになる(涅槃寂静)という考え方だ。
この思想はインドから中国、そして朝鮮半島を経て日本に伝わったわけだが、どういうわけか日本では、「諸行無常」が「無常」と上着を脱いで身軽な姿になり、あらゆる文化の基層に潜り込んでいったのではないか。どうも私には、そう思えて仕方ないのである。
「無常」がそれほど浸透した背景には、おそらく「火山列島」、あるいは「災害列島」とも呼べそうな日本の環境がある。
「オオナムチ(大穴牟遅=大穴持ち=噴火口)の神」が日本の固有神だと益田勝美氏は言うが、なるほど日本では、古代から山容が変わるほど噴火を繰り返した山が多い。いま思いつくだけでも、大山、阿蘇山、浅間山、富士山、そして私の地元の磐梯山もそうだ。
日本は台風も火事も地震も多い国だが、噴火ほど抵抗しようのないものもないだろう。寺田寅彦が「正当に怖がることはなかなかむつかしい」と言ったのも、浅間山の噴火の直後だし、宮澤賢治が究極の自然コントロールとしてブドリに挑ませたのも噴火の制御だった(『グスコーブドリの伝記』)。
富士山も平安時代に二回、延暦年間と貞観年間に噴火している。火砕流や溶岩流など、ふだんからは予約のしようもないし、いさという時にもどっちへ逃げるべきか見当がつきにくい。
こうした天災への諦め、あるいは天命として受容する態度が、いつからか「無常」という言葉に染み込んでいったのではないだろうか。とにかく大災害のあとでは、さきまで確かに存在したものが跡形もなくなってしまうのである。
日本人が好きな言葉に、「一から出直す」という言葉がある。これもある意味で、災害にすべてを失った人々の、小林旭の歌を憶いだすかもしれないが、すでに千利休がこんな歌を詠んでいる。
稽古とは 一から習い 十より知り十よりかへる 元のその一
むろんこれは、お茶の稽古についての心構えではあるが、禅の「返本源元」の考え方に由来している。つまり、取ってつけたような知識や技術は臭みばかりか鼻をつくから、むしろ洗い流して原点に戻れ、「人をもてなす」という基本に返れ、ということだろう。同じような趣旨で、世阿弥は「初心」という言葉を使った。むろん、「初心」でも「元のその一」でも、身についた分があるだけ初めの状態とは違う。しかしたとえそうだとしても、日本人は積み重ねるよりもむしろ削ぎ落とすほうに美を感じたのだろう。
こうした思想も、しかしもしかすると、そうおもわざるを得ないほど、すべてを喪失する災難が襲ったせいではないか……。私にはそう思えてしまう。
万葉集には、「夏樫」として「なつかしい」という感情もよく謳われる。これも今はなき「面影」を偲ぶ、日本人には特徴的な感情である。現在は「懐かしい」と「懐」の文字を当てているが、この文字に本来そういった意味合いはない。明らかに代用である。中国人にはあまりなかった感情なので、初めは「夏樫」と書くしかなかったのではないか。
そしてなにより、「無常」がさらに深く浸透したことを思わせるのは、「もののあはれ」という美意識であろう。
本居宣長が『源氏物語』を論じた『紫文要領』で注目されるわけだが、すでにこの言葉じたいは『土佐日記』『大和物語』『拾遺和歌集』など平安期の文芸においてすでに重視されている。『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』などに使われていた「あはれ」が深まり、人がもつべき独自の美意識として「もののあはれ」が浸透していくのである。
本居宣長によれば、「物の哀れをしる事は、物の心をしるよりいで、物の心をしるは、世の有さまをしり、人の情に通ずるよりいづる也」という。つまり「もののあはれ」を知るには結局「世の有さま」や「人の情」を知らなくてはならない、というわけだが、ここでの「人の情」とは、いったい何のことだろう。
先ほど私は、「寂滅現前」や「無常」を一つの行動規範として捉えた。禅では「前後際断」というが、要するに、直前までのことは水に流し、無心になって新たに「今」に向き合う、ということだ。
しかし、人の情というのは、そう簡単に割り切れるものではない。
「むかしの事を今の事にひきあてなぞらへて、昔の事の物の哀れをも思ひしり、又おのが身のうへをも、昔にくらべてみて、今の物の哀れをもしり、うさをもなぐさめ心をもはらす也」
本居宣長は、そのように昔と今を引き比べ、とても過去など捨てきれないのが「人の情」であり、「もののあはれ」だと言うのである。
「人の情」は、そう簡単には「寂滅現前」できないということだろう。
しかしそのように過去を引きずる「人の情」ではあっても、そこにも「無常」の原理は容赦なく這入り込む。移ろってほしくないものの移ろい、「あはれ」と感じるその「人の情」でさえ、やがて移ろいゆくのである。
かくして「無常」はすべてを覆い、その流れに生ずる小さな渦のようなものとして「もののあはれ」を感じる、それが日本人なのではないか。「死して生まれよ」という「無常」の本来的な流れに、なおも生きながらえようとする「人の情」。しかもしれがやがて、泡沫のように死して生まれることになる……。
そんなことを、私は東日本大震災を経て、思ったのである。
|
|