人の生活は千差万別である。夫婦関係も、兄弟関係も、一生かけて繕わなくてはならない独自の物語をそれぞれ抱えている。原発事故のような大きなことが起こると、まずその事実を迂闊にも忘れてしまうことが多いわけだが、久保田監督は間違いなくその個別性を明確に意識している。
 いったい、これほど複雑な家族にする必要があったのかと、素早く主張を読み取りたい人は、思うかもしれない。澤田次郎は兄総一と腹違いの兄弟だし、総一の奥さんは何やら不穏な仕事に就いている。しかし、そうした割り切れない複雑さあるがゆえに、この物語の非日常な日常は力強く牽引されていくのである。
 個々の複雑な違いを無視し、国や行政が「この町には人が住むことはできない」と決めることは可能である。この映画で警官が告げたように、出て行かない者に罰を与えることもあるいはできるのかもしれない。
 多くの人々は割り切れぬ思いを抱えながらも普通はその取り決めに従い、「すべてを失った」自分をその後は生きることになる。いや、総一の台詞で語られるように、気がつくと避難所にいた、という人々も多かったはずである。その後は積極的に賠償を求める人々もいるだろうし、総一のようにそれを潔しとせず、苦しむ人々も多い。総一の友人ノブアキの自殺は、まったく現実だったのである。
 しかし次郎の場合は、なにより故郷と向き合うスタンスが初めから違っている。近所の田圃の水を抜いた兄総一の罪を被り、父の保身のためにも高校を辞めて上京した次郎にとって、故郷とは「嫌いな町」だが「好きな百姓ができる場所」なのである。誰もいなくなったその場所こそ、次郎が「やり直せる場所」ではなかったか。
 そんな人間にとって、たとえば放射線量が幾分上がったことがどれほど生き方に響くものだろう。次郎はむしろ、希望を胸に「家路」についたはずである。
 土地に縛られて生き、その土地を失ったと感じている総一にとって、それはあまりにも身勝手な処し方に見えた。久方の兄弟再会、そして直後のとっくみあいは、まるで家と戦う長男の激しい葛藤そのものと思えた。
 一般的な放射能への怯えは、次郎の同級生北村との微妙なやりとりで表現される。ここに居続けることが「ゆっくり自殺するようなもの」と言う北村の言葉に、次郎は当然のことながら肯んじない。しかし口論するのではなく、穏やかに「時間の使い方の問題」だと言い切る態度に、私はほれぼれするのである。苗床に種を蒔く明るいハウスの中に、次郎そして監督の静かな決意が眩しく煌めく。
 おそらくこの作品の肝は、たぶん農業体験もなかったはずの松山ケンイチが、「再び土に呼ばれた喜び」をどれだけ表現できるかにかかっていたと思う。それは見事に果たされたし、その迷いのない冷徹なまでの意志に、総一さえも感化されていく。
 相変わらず田中裕子の成りきりは見事だが、次弟に進んでいく認知の異常のなか、農業だけは忘れない母を、次郎は一緒に「家路」につかせようと決意する。母を背負う次郎の進む山道が新緑でこの上なく美しい。それはおそらく、何が起ころうと戻るべき場所があると確信する、個々の強靭な物語の美しさではないだろうか。
「次郎、おまえ馬鹿だ。……馬鹿野郎だ」と総一は叫ぶのだが、こんな味のある素敵な「馬鹿野郎」を私は久しぶりに聞いた。
 そして圧巻はなんと言っても次郎と母親二人による田植えのシ-ンだろう。青々と育った苗を淡々と植え込んでいく安定した腰つき。それは二人の警察官も立ち入れないほどに、「それでも安らかな暮らし」があることを力強く表している。もしかすると誰にとっても、目眩ましの現実の奥底に、この永遠なる「家路」が隠されているのではないか。震災の問題を超えて、私にはそう思えて仕方なかった。
 私は福島県に住んでいるため、この映画のメイン舞台になった場所や農業指導をした秋元さんのことも個人的に知っている。震災後、休まず試験耕作した田圃の米は、初めからND(放射能検出限界以下)だったのに風評被害は甚だしく、おいしい「福幸米」もなかなか捌けない。ただ、彼らの農業にかける情熱は凄まじく、次郎とは別物だが譲れない物語を背負った人々がじつに大勢戻っている。
 勝手な憶測だが、「それでも農業する」というあの地の「馬鹿野郎」たちの心意気が、この映画にも充分浸潤しているような気がする。
 最後になったが、ラストのピアノと弦の響きがこの映画全体をまとめあげるかのように気高く慕わしい。

 
 
 
     
「家路 」2014年3月ロードショー