よく、こんなことを訊かれる。
「和尚さん、家には仏壇があって、位牌があって、しかもお墓に行くとそこには故人のお骨が埋葬されているし、法名碑には戒名も刻まれているでしょう。故人はいったい、どこに居るんでしょうかね?」
 べつに私を困らせようというわけでなく、真面目な質問である。人によっては笑いながら「故人が迷いませんかね」などと付け加える人もいる。
 私は最近、こう答えるようにしている。
「それは、どこに居る、というふうに考えないでください。あなたがお墓で拝めばお墓に現れる。仏壇の位牌に向って拝めばそこに現れる。いや、それこそ空の雲を眺めて拝めば空にだって現れるんじゃないですか。……つまり、位牌とかお墓というのは、あらためて故人に出逢うための分かりやすい『よすが』なんですよ」
 時には虹に喩えることもある。水滴や太陽の光は虹にとって不可欠だが、もっと大事なのは我々の頭の中の色彩ソフトである。虹が何色にどんなふうに見えるかは、むろんそちらに多く依存している。
 故人を供養する場合も、その故人への思いが基本としてあり、それを投影する水滴や光に相当するのがお墓や位牌ではないか。 
 基本的には、仏像についても同じように考えれれるだろう。
 仏陀が亡くなった当初は、その姿を描くことなど到底不可能と考えられ、当時のバラモン教の習慣もあって尊像は造られなかった。その頃は足跡や台座、菩提樹などで象徴的に表し、それを拝んだのである。
 しかしお墓は造るなという仏陀の遺言が守られず、あちこちにストゥーパ(仏塔)が建てられたように、人々はその遺徳を偲ぶための場所を求めた。拝む場所と、その対象を欲しかったのである。
 仏滅後五百年ほど経つと、北西インド(現在はパキスタン)のガンダーラ地方や中インドのマトゥラー地方などで仏像製作が始まる。そこにはギリシャのヘレニズム文化の影響もあったようだが、現実問題としては、やはり礼拝する対象が求められたのではないだろうか。それは「よすが」というより、当初は「対象」と言ったほうが当たっていたかもしれない。
 その後、大乗仏教の時代になると、仏像は多彩になる。仏陀という総合的な人格の、特定の一面を強調して拝むようになるのである。
 薬師如来、弥勒仏、文殊菩薩に普賢菩薩、そして日本で人気の観音さまやお地蔵さまで、限りなく増えていったと言ってもいい。
 初め朝鮮半島から伝わった金剛仏は、日本ではすぐに木製に造り変えられた。そこには日本人独特の生命観が関わっていたと思える。日本人は「木」も「毛」も「氣」も当時は「け」と読み、それは後に精選されて「神」と呼ばれるような、生命の発露と思われていた。どうせ拝むなら、「神」の宿る「木」だと考えたのではないか。
 しかも初めから「仏」は「蕃神(=外国の神)」という位置づけだったから、八百万の神々に倣うようにテーマ別のさまざまな仏たちが遠慮なく造られた。やがてそれは神々にも模倣され、神像なるものまで出来ていくのである。
 拝む「対象」と「よすが」とを先ほど使い分けたが、これは例えばお地蔵さんなどになるとなかなか微妙になってくる。
 いつしか子供の守り役と思われていった地蔵菩薩だが、それにつれて当初の菩薩形はほとんど造られなくなり、比丘形ばかりになる。比丘形はその名のとおり、出家した僧侶に似せたわけだが、私たちはそこに亡くなった子供の面影も重ねてはいないだろうか。
 昨年の五月、私は津波被害の甚大だった石巻の大川小学校を訪ねた。七十名以上の子供と十名を超える先生方が津波に呑み込まれた現場である。名状しがたい独特の空気に圧しつぶされそうだったが、すでにそこには簡易な祭壇が置かれ、幾つかの仏像のほか、風車や玩具、お菓子、そして卒搭婆まで、その周囲に供えられていたのである。
 誰が置いたのか、大日如来や地蔵菩薩らしい仏像が壇の上や横のほうにも祀られていた。私は案内してくださった地元の和尚さんと一緒に思わず祭壇前に跪き、それからお経を唱えたのだが、お地蔵さんの顔はどんどん子供たち自身のように思えてくるのだった。
 拝まずにはいられない。そんな気分が私たちの思いを、お地蔵さんの童顔が無邪気に受けとめてくれる。涙が出てくると尚更、それは子供たちを守ってくれる存在なのか、子供たち自身なのか、分からなくなってくるのである。
 その後、私のところに、ある石彫の作家が何かできないだろうかと訪ねてきた。すぐに私は、大川小学校に行くことを勧めたのだが、彼はその場に行って重たい石を一つ持ち帰ってきた。よく見るとそれは、天然にできた凸凹が子供を抱いた母親のように見える石だった。少しだけ、彼は鑿を使ったと言っていたが、彼がその石を拾って微かながら救いを見出したという言葉を、私は深く納得できた。そこには救ってくれる力と救われる者が一つになっていた。よく分からないけれど、拝むことに含まれる祈りが、少しだけ諒解できたような気がしたのである。
 東日本大震災以後、各地でお地蔵さまやその他の仏像が数多く造られている。おそらく造ることも拝むことも、あまり合理的説明のしにくい「やむにやまれぬ」行為なのだろう。
「よすが」なのか「対象」なのかそんなこともどうでもよくなり、仏像はいつのまにか「やむにやまれぬ」人間たちを「いとおしむ」ように見つめている。 

 
     
「CARTA」 2012年盛夏号(学研)